四拍遅れの笑顔

白峯凛久は、失踪した歌い手の新作MVを一人で見ていた。

公開予約は本人が消える前に設定したものだ。事務所の代表であり恋人でもあった凛久は、彼女が戻る可能性を示す宣伝材料として、プレミア公開を止めなかった。取材では彼女が精神的に不安定だったと語ったが、机の引き出しには預かったままの身分証と銀行カードがある。外へ出られないよう管理していた事実を、彼は「保護」と呼んでいた。

イントロでは、白い部屋の中央に彼女が座っている。四拍鳴るたび、顔だけが遅れて笑った。口元は笑っているのに、目はカメラの外を見ている。

「待っていて」

凛久は安堵した。世間には何も言わず姿を消したが、自分には帰る約束を残したのだ。Aメロで、彼女の背後の時計が一分ずつ逆に進む。机の上には、凛久が管理していた契約書と、取り上げた携帯電話が並んでいた。

二度目の笑顔は八拍遅れた。画面下に見覚えのない時刻が表示される。凛久が彼女をスタジオへ閉じ込めた夜、廊下の防犯カメラが途切れた時刻だった。

「待っていて」

コメント欄には「生きている」「帰ってくる」と歓声が流れる。凛久は笑顔のスタンプを押した。

サビに入ると、遅れていた映像が急に現実の時刻へ追いついた。白い部屋の扉が開き、彼女は外へ出る。カメラは無人の椅子を映したまま、机の契約書を一枚ずつ拡大した。報酬の横領、位置情報の常時共有、外出禁止を示すメッセージ。凛久の電子署名まで鮮明に映る。

彼は停止ボタンを押した。反応しない。プレミア公開は視聴者全員の端末へ同時保存されていた。

最後の一音と同時に、事務所の自動錠が作動した。玄関の外でインターホンが鳴る。モニターには捜査員と弁護士が立っていた。

画面の彼女は四拍遅れて振り返り、今度は笑わずに告げた。

「待っていて」

帰るまで待つように、という恋人への言葉ではなかった。証拠が配信され、警察が到着するまで、その部屋から動くなという指示だった。

凛久の背後で鍵が開く音がした。MVの再生数は増え続け、彼女の笑顔だけが二度と戻らなかった。