回る靴下
千紗都が毛布にコーヒーをこぼしたのは、午前零時を過ぎてからだった。
原稿の締切まで六時間。眠気を追い払うための一杯が、マグカップごと倒れた。茶色い染みは毛布の中央へ素早く広がり、甘く焦げた匂いが部屋いっぱいに残った。
徒歩十分のコンビニには、コインランドリーが併設されている。
千紗都は毛布を大きな袋へ押し込み、財布とノートパソコンを抱えて向かった。
洗濯機は二台空いていた。隣の乾燥機だけが回っている。丸い窓の中で、赤い靴下が一枚、白いタオルに巻き込まれては現れた。
赤、白、赤、白。
持ち主の姿はない。
毛布を洗濯機へ入れ、硬貨を落とす。機械が水をため始める。低い唸りが床から椅子へ伝わり、隣の乾燥機の回転音と少しずれて重なった。
ごうん、ごうん。
ごうん、ごうん。
千紗都はコンビニ側で新しいコーヒーを買った。今度は蓋を二度確かめる。レジ横の空調で吊り下げられた広告が揺れ、店内放送の穏やかな声が、誰も急かしていないのに新商品を勧めていた。
ランドリーへ戻ると、赤い靴下はまだ回っていた。
千紗都はノートパソコンを開いたが、一行も書けなかった。画面には白いページ。丸窓には赤い靴下。白、赤、白、赤。
誰かの生活が、機械の中で乾いている。
そう思うと、その名も知らない持ち主が、深夜に一人で洗濯を始めた理由まで勝手に想像しそうになった。子どもの靴下かもしれないし、自分のものかもしれない。旅行から帰ったばかりか、明日の朝に必要なのかもしれない。
十分後、コンビニの自動ドアが鳴った。
フードをかぶった人がランドリーへ入り、千紗都へ軽く頭を下げた。言葉を交わさず、乾燥機を止める。温かいタオルの山から赤い靴下が取り出され、丁寧に二つ折りにされた。
その人が去ると、隣の機械は静かになった。
今度は千紗都の洗濯機だけが回っている。
孤独は戻ったはずなのに、さっきより形が小さかった。椅子一脚分、機械一台分くらいの大きさに収まっている。
千紗都は白い画面へ一文を打った。
洗濯終了まで、あと二十三分。
原稿が終わるとは思えない。それでも毛布はきれいになる。今夜は、その確かなほうを待てばよかった。