地球籍を返す日
恒星移民船〈アルシオン〉は、一つの独立国として出航する。
乗員は出発前に地球籍を返し、アルシオン国民になる。
二重国籍は認められない。
地球へ戻る航路もない。
ラウラ・セヌは、沈みつつあるアウラ諸島の言語保存官として選ばれた。
彼女の島から乗れるのは一人だけだった。
恋人の真木野祥午は、地球に残る。
海面下へ沈んだ町の映像記録を整理し、亡くなった人々の名前を保存する仕事があった。
出航前日、二人は電子窓口で婚姻終了届へ署名した。
国籍が別になれば婚姻記録を移管できないため、制度上必要な手続きだった。
「紙の離婚より冷たいね」
ラウラが言う。
「紙なら破けるからな」
「送信したら戻せない」
「船と同じだ」
画面には、終了理由を選ぶ欄があった。
〈不和〉
〈死亡〉
〈国籍変更〉
祥午は最後の項目を押した。
「一緒に来てほしいと言ったら?」
「島の言葉を残すのは君にしかできない」
「祥午の仕事は、誰かに任せられる」
「そうかもしれない。でも、俺は沈んだ町の人を置いていけない」
ラウラは笑った。
「私たち、残すものが違ったんだね」
「同じだよ。どちらも、なくなるものだ」
出航の日、国籍返納式が行われた。
ラウラの古い旅券には無効印が押され、新しい身分証に〈国籍・アルシオン〉と表示された。
通信窓の向こうで、祥午は地球市民のままだった。
「これで外国人同士だ」
「昨日まで夫婦だったのに」
「明日からは、別の星の歴史になる」
発射まで十秒。
ラウラはアウラ語で、島の別れの言葉を言った。
祥午は意味を知らなかったが、何度も聞いて覚えた音で返した。
船は空へ昇った。
地球から見れば一つの光になり、やがて見えなくなった。
数年後、祥午は海底資料館で、ラウラの島の映像を公開した。
展示の最後には、翻訳のない音声を一つ置いた。
〈同じ国には戻れなくても、あなたと暮らした時間は、どの国にも返しません〉
アルシオンでは、その言葉が新しい国の最初の恋歌として歌われた。
二人の婚姻記録は終了した。
けれど別々の国籍になったあとも、一つの別れだけが、二つの国の記憶へ同時に残った。