塩の粒が残るチーズケーキ

那須野藍子の給料口座には、結婚式のための自動積立がまだ残っていた。

婚約を解消して二か月。式場のキャンセル料も、親への説明も終わった。それでも毎月二十五日になると、五万円が「挙式資金」という名前の口座へ移る。止め方が分からないのではない。止めた瞬間、悲しんでいない自分がばれそうで怖かった。

新しい給料が入っても、式場へ払うはずだった額を使うことに罪悪感があった。周囲は藍子を気遣った。母は電話のたび「無理に元気を出さなくていい」と言い、友人は元婚約者の悪口を代わりに引き受けた。藍子は泣く役を期待されている気がして、別れてほっとしたとは言えなかった。

給料日の帰り、藍子は塩キャラメルのチーズケーキを一つ買った。元婚約者は甘じょっぱい味を嫌い、交際中は一度も選べなかったものだ。

冷えたケーキは、フォークを入れるとねっとり割れた。焦がし砂糖の香りのあと、表面の塩が舌へ小さく残る。

藍子は最初の一口をゆっくり飲み込んだ。おいしいと思った直後、笑いそうになり、慌てて口元を押さえた。誰も見ていない部屋でさえ、嬉しそうにするのが後ろめたかった。

二口目は、塩の多い端を選んだ。元婚約者なら眉をしかめた味を、自分はずっと好きだったのだと今さら気づいた。甘さの中で粒がはっきりした。悲しくないことは、愛していなかった証明ではない。結婚しない未来を望んだ自分が、冷たい人間になるわけでもない。

皿には、キャラメルの少ない白い一口だけが残った。藍子はそれを食べず、ラップをかけた。

銀行アプリを開き、「挙式資金」の積立を停止する。貯まった金額の半分を、新しい部屋の敷金口座へ移した。残りの使い道は決めなかった。全部を今夜の決断にしなくていい。

母へのメッセージには、「心配しないで」ではなく、「別れて、少し安心してる」と書いた。

送信して冷蔵庫を閉める。残した一口は、失った未来のためではない。明日の藍子が、自分の味をもう一度確かめるために取っておいた。