墓園前、午後四時

柚原篤史は、離婚した元妻の墓へ月に一度通っていた。

離婚から三年後、元妻は病気で亡くなった。別れたときには言えなかった謝罪を、墓前で少しずつ話しているらしい。瀬名真緒は詳しく聞かなかった。聞かないまま、篤史を好きになった。

好きと言えない理由は一つだった。死者には勝てないからではない。篤史が誰かを好きになるたび、亡くなった人を裏切ったように感じるのではないか。それを「もう前へ進んで」と励ます側に、自分がなりたくなかった。

篤史は墓前の花を真緒に選ばせなかった。元妻の好きだった色も、別れた理由も、話せる範囲を自分で決めていた。真緒はその境界を守った。けれど入口で待つ自分まで、いつか過去を追い出すための人になるのではないかと怖くなり、傘の下でも半歩ぶん距離を空けていた。

墓園の閉門は午後四時。真緒は入口で篤史を待ち、帰りのバスに一緒に乗るのが習慣だった。その日は雨で、最終バスまで七分しかなかった。

「先に帰って」

門の中から電話が来た。

「待ってる」

「雨、強くなる。待たなくていい」

「バスに間に合わなくなるよ」

「今日は歩く」

「じゃあ私も」

「真緒まで付き合うことじゃない」

二度目の「待たなくていい」は、線を引く言葉に聞こえた。

ちょうど篤史が門から出てきた。傘を持たず、肩が濡れている。管理人が背後で鉄扉を閉め始めた。

「どうして毎回来るの」

篤史が尋ねた。

「バスが同じだから」

「今日は違う」

「雨だから」

「真緒は、俺があの人を忘れるまで待ってるの?」

真緒は傘の柄を握り直した。閉門の鎖が鳴り、遠くからバスのエンジン音が近づく。

「忘れるまでじゃない」

真緒は傘を篤史の側へ傾けた。

「待ってる。思い出したままでも、誰かと歩けるって、あなたが自分で決めるまで」

バスが停留所に止まり、ドアを開けた。篤史は乗らなかった。真緒も乗らない。

走り去るテールランプを見送り、真緒は自動販売機で温かい缶コーヒーを二本買った。一本を渡すのではなく、濡れたベンチの篤史の隣へ置いた。