売れなかった私のサイン会

四十物茅乃の図書館に、ベストセラー作家・四十物茅乃のサイン会ポスターが届いた。

同姓同名ではない。出版社が導入した並行市場AIが、別世界の人気作家を立体投影し、こちらでも本を売る企画だった。

こちらの茅乃は十年前、三作目の落選通知で小説をやめ、児童図書館員になった。向こうの茅乃は同じ原稿で新人賞を取り、累計一千万部の作家になっていた。

サイン会当日、投影された茅乃は客席を見回し、鼻で笑った。

「四十人? 向こうなら四千人よ」

「児童室で大声を出さないでください」

「まだ司書口調なんだ」

互いの人生を一時間ずつ閲覧できる特典があった。こちらの茅乃は高級ホテル、文学賞、映画化を見た。向こうの茅乃は、毎週水曜に子どもたちへ読み聞かせをする自分を見た。

「その子、私の本を読んでる」と作家が指した。

「途中で寝ますけど」

「ひどい司書ね」

「ひどい作家です」

口論は、最前列の少年に遮られた。彼は作家版の小説を差し出さず、こちらの茅乃が昔、館内便りに書いた二ページの童話を持っていた。

「続き、ないの?」

茅乃は答えられなかった。向こうの作家が先に言った。

「この人、売れないから書かないんだって」

「あなたは売れるものしか書かないでしょう」

作家の顔が固まった。彼女の最新作は市場AIが読者反応から自動補筆しており、本人は結末さえ知らなかった。

通信終了後、茅乃は閉館までに童話の続きを三百字だけ書いた。翌週は五百字。半年後、図書館の小さな印刷機で三十冊を綴じた。

巻末の著者欄には、こう記した。

〈四十物茅乃。売れなかった方〉

三十一冊目は別世界へ送った。返事には、たった一行のサインがあった。

〈次は私が、売れないものを書く〉

三十冊は一週間で貸し出され、戻ってきた本には子どもの鉛筆で勝手な続きを書き込まれていた。茅乃は注意印を押しかけ、やめた。物語が作者の思い通りにならない感覚を、向こうの自分より先に楽しめた気がしたからだ。

少年は得意げに頷いた。