奨学金の空欄
願書の横に、奨学金申請書が置かれていた。
家計欄だけが空白だった。
父の年収を知らない。母に聞くと、「そこまでして東京へ行くの」と言われた。
私は書類を鞄に戻し、学校へ持ってきた。
昼休み、進路資料室で親友が弁当を食べていた。私が申請書を広げると、彼女は箸を置いた。
「保証人、誰にするの」
「まだ」
「返済額、計算した?」
「まだ」
「じゃあ一緒にやろう」
電卓を叩くと、卒業後の返済額は想像より長く続いた。二十二歳から四十歳近くまで。夢の大学生活より、その後の年月のほうがずっと長い。
「やっぱり無理かも」
私が言うと、親友は勝手に申請書を閉じた。
「今決めるな。怖いときは数字を一回寝かせる」
彼女は地元の看護学校へ進む。学費も抑えられ、就職先も見えやすい。私は東京で舞台美術を学びたかった。
「そっちは現実的でいいね」
口にしたあと、親友の表情が変わった。
「私だって、東京の劇団に入りたかった」
初めて聞いた。
祖母の介護があり、家を出る選択をしなかったのだという。
「夢を諦めたの?」
「形を変えた。病院で働きながら、地域の劇団に入る」
親友はまっすぐ私を見た。
「だから、借りるなら借りるで、返す人生まで自分で選びなよ。私の進路を安全な道みたいに言わないで」
謝ると、彼女は弁当の卵焼きを一つくれた。
放課後、私は母へ家計欄を一緒に書いてほしいと頼んだ。
母は長く黙り、通帳を出した。
家の数字を初めて見た。光熱費、住宅ローン、弟の学費。私の夢が入る隙間は狭かった。
それでも、給付型の制度、寮費免除、学内アルバイトを一つずつ調べた。
最終的に、借りる額は最初の半分になった。
申請書を提出する日、親友が空欄を指した。
「ここ、将来の返済計画」
私は書いた。
『舞台美術の仕事を目指し、収入が不安定な期間は地元へ戻り、家業を手伝う』
格好いい計画ではない。夢と現実を行ったり来たりする文章だった。
親友はうなずいた。
「いいと思う。逃げ道じゃなくて、帰り道だから」
奨学金は借金だった。
でも、借金だからこそ、夢を曖昧な憧れのままにせず、生活の言葉で考えるようになった。
空欄を埋めた日、私は初めて、上京後ではなく卒業後の自分まで想像した。