嫉妬の花壇

 歌劇場の裏庭には、嫉妬を食べる精霊が棲んでいる。

 緑の指をした小人に嫉妬を一つ食べさせると、相手の願いが一つだけ花になる。花が咲けば、願いは夜明けまで本物になる。

 イネスはその話を笑い飛ばしていた。

 親友のロゼルが主役に選ばれるまでは。

 二人は同じ日に劇団へ入り、同じ屋根裏部屋で靴を繕い、いつか並んで大舞台に立とうと約束した。けれど選ばれたのはいつもロゼルだった。澄んだ声も、光を集める横顔も、努力だけでは届かない場所にある。

 そして初日の朝、ロゼルは声を失った。

 呪いではない。長い稽古で喉を壊したのだ。代役はイネスに決まった。

「よかったね」

 ロゼルは紙に書いた。

 その字が震えているのを見て、イネスの胸に甘い喜びと黒い痛みが同時に湧いた。

 夜、裏庭へ行くと、小人は土から顔を出した。

「おまえの嫉妬はよく熟れている。食べれば、あの娘の願いを咲かせよう」

「願いは何?」

「自分の声で、初日の幕を上げること」

 嫉妬を渡せば、ロゼルは一晩だけ歌える。

 イネスは代役を失う。七年待った主役の機会も消える。

 それより怖いのは、嫉妬そのものがなくなることだった。

 ロゼルに追いつきたい。負けたくない。自分も見てほしい。

 醜い感情だと責めながら、それは毎朝彼女を稽古場へ向かわせた。嫉妬を抜かれたあと、自分が歌い続けられるのか分からない。

「食べなければ、今夜はおまえが主役だ」

 小人が囁く。

「誰も責めない」

 劇場から、楽団の調律する音が聞こえた。

 屋根裏で二人きり、ロゼルが「あなたの低い声が好き」と言った夜を思い出す。あの言葉まで嫉妬の根に絡んでいる気がした。

 イネスは土に膝をついた。

「花は、どこに咲くの?」

「おまえの喉元に」

 小人の指が胸へ触れる。

 黒い棘のような嫉妬が、一本ずつ引き抜かれた。痛いのに、手放したくなくて、イネスは最後までその棘を目で追った。

 喉元に白い花が開く。

 舞台袖で、ロゼルが息を呑む音がした。

 イネスは花を摘み、親友の唇へ差し出した。

「今夜だけは、私の負けを歌って」

 小人が最後の棘を噛み砕いた。

 拍手を欲しがっていた胸の場所に、静かな空洞が咲いた。