客入れを五分止める

文化祭公演の五分前、黒い布テープが鳴海柚葉の足元へ転がってきた。

「あと五分、客入れ。補強はそれでいいよね?」

実行委員長の言葉も、舞台袖の埃っぽい匂いも、前と同じだった。

前の人生で柚葉は「大丈夫」と答え、ぐらつく照明トラスへ布テープを巻いた。本番中、吊り金具が折れ、親友の美月が下敷きになった。学校は柚葉の補強不足を責め、金具の定期交換を怠った業者と教頭は逃げ切った。美月の空席を見ながら、柚葉は卒業まで一度も舞台袖へ近づけなかった。

柚葉は二度目の布テープを拾った。

「客入れはしない。幕も上げない」

「は? ここまで準備したのに?」

「全員、舞台から降りて。美月も」

主演衣装の美月が困った顔をする。前回と同じように「柚葉、私なら平気」と笑った。

柚葉は、その笑顔に負けなかった。

「平気じゃない。あなたを舞台へ出さない」

非常停止盤の鍵を回し、主電源を落とす。音響が消え、客席からざわめきが上がった。教頭が駆け込み、顔を真っ赤にする。

「責任を取れるのか!」

「取ります。だから先生も、この金具に名前を書いてください」

柚葉は黒い布テープを教頭へ差し出した。交換済みだと言うなら、自分で補強して署名しろという意味だ。

教頭の手が止まる。

その一瞬で十分だった。

柚葉は美月の腕を引いて舞台袖から飛び出す。全員が客席通路へ退避した直後、天井から甲高い音が響いた。

古い吊り金具が割れ、照明トラスが無人の舞台へ落下する。床板が砕け、黒い布テープが風に舞った。

客席が静まり返る。

美月は柚葉の手を強く握った。前の人生では、その手は救急車の中で冷たくなった。

校内連絡アプリが震える。以前なら《負傷者発生、救急搬送》と表示された時刻だ。

今度の通知は違った。

《全員無事。鳴海柚葉の停止判断により事故回避。公演は安全確認後に再開》

美月が泣きながら笑う。

「次の舞台も、一緒に立ってくれる?」

前の人生には存在しなかった「次」という言葉が、柚葉の耳に届いた。