家族割を抜ける日

携帯ショップの番号札は、母が持っていた。

「郁海ちゃんは機械に弱いので、私が説明します」

呼ばれてカウンターへ座ると、母は郁海より先に身分証を置いた。家族割の代表回線、利用料金の一括請求、位置情報共有。店員が確認するたび、母が「そのままで」と答える。

郁海のスマートフォンは、二十三歳の誕生日から母の地図の上にあった。残業で駅に長くいれば電話が来て、休日に隣県へ出れば「誰といるの」とメッセージが届く。今日も母は、それを安心のためだと言った。

「機種変更だけでいいわよね?」

「いいえ」

郁海が言うと、店員の指が端末の上で止まった。

「家族割から抜けます。請求も分けて、位置情報共有を解除してください」

「何を言ってるの」

「自分で払う」

「無駄に高くなるのよ。家族なのに」

「高くなる分は、鍵代だと思う」

母は番号札を二つ折りにした。

「最近、帰りが遅いから心配してあげてるんでしょう」

「心配はしていい。でも、確認はさせない」

店員は目を伏せたまま、手続きに必要な項目を一つずつ読み上げた。暗証番号。支払い方法。新しい契約者名。母が横から答えようとするたび、郁海は「私に聞いてください」と言った。

三度目から、店員は母を見なくなった。

タブレットに署名する欄が現れる。母は小声で、「そんな子に育てた覚えはない」と言った。

郁海はペンを止めた。胸の奥で、謝る言葉が反射のように立ち上がる。けれど署名欄には、幼い呼び名ではなく、姓と名を書く場所があった。

一画ずつ、自分の名前を書く。

手続きが終わると、店員が母へ番号札を返そうとした。郁海は先に受け取り、くずかごへ入れた。

店を出たところで、母のスマートフォンが鳴った。位置情報共有が終了した通知だった。

「これで、どこにいるか分からないじゃない」

「聞きたいときは、聞いて」

「答えるの?」

「答えたいことなら」

母は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。やがて「今日は夕飯、家で食べるの」と尋ねた。

命令ではなく質問の形だった。

郁海は少し考え、「今日は帰らない。来週なら一緒に食べる」と答えた。

新しい契約書は薄い紙一枚だったが、バッグの中で、母の番号札よりずっと軽かった。