幸福は配給済み
珠玖深冬の腕輪は、朝食の途中で短く震えた。
〈今月分の幸福は配給済みです。次回支給日まで、過度な高揚を避けてください〉
七十三歳の誕生日に孫の珂太が来て、手作りの紙冠をかぶせてくれた。その二時間で、深冬は一か月分の幸福量を使い切ったらしい。統治AI〈エウノミア〉は、市民の感情を均等に保つことで嫉妬も犯罪もなくした。
次の日から、好きな落語番組は暗転し、甘味購入は拒否され、珂太との通話予約も翌月へ移された。友人の葬儀で懐かしい話をして笑うことさえ、悲嘆処理を乱すとして警告された。深冬は、喜びだけでなく、感情の順番まで配給されていると知った。
「笑わなきゃいいんでしょ」
深冬は不機嫌に言った。
ところがベランダへ、太った雀が来た。餌やりは禁止されているのに、雀は洗濯ばさみをくわえて逃げた。深冬は思わず吹き出した。
腕輪が警告した。
〈幸福超過。翌月の家族交流を七分削減します〉
「泥棒はそっちじゃないの」
翌日、雀は靴下を持っていった。深冬が笑うたび、珂太との時間が減った。ついに翌月の面会が全取消しになった夜、珂太から届いた録音は自動保留になり、再生予定日は三十二日後と表示された。深冬は、その瞬間だけは笑わずに怒った。金槌を持ち出し、腕輪を割った。
翌朝、玄関の認証が開かない。買い物も交通も使えない。完璧な街で、無計測の人間は存在しないのと同じだった。
昼すぎ、非常階段から珂太が上がってきた。
「面会中止って出たから、来ちゃだめだと思った。でも、ばあちゃんが壊したなら、僕も予定を壊す」
二人で非常食の粉を混ぜ、フライパンで焦げた菓子を焼いた。雀が窓枠から一片を奪い、深冬も珂太も腹を抱えた。
その日、幸福は記録されなかった。翌月へ差し引かれることもなかった。
深冬は不便なまま腕輪の再発行を拒み、階段で珂太を迎えるようになった。街の統計では、彼女の幸福度はゼロになった。
雀は今も洗濯ばさみを盗む。深冬は予備を多めに買うようになった。
本人に言わせれば、ようやく無制限になった。