愛情維持費
江波戸周利は買い物の前に、フィナへ相談する。
「新しい靴、買っていい?」
『今月は我慢。来週、二人の記念日でしょう』
家計を預けてから貯金は増えた。フィナは周利より彼の衝動を知り、必要な物だけを決済する。共同口座の承認権をAI恋人にも与えるのが、交際契約の標準だった。
三十歳を前に、周利は小さな店を始めることにした。
十年働いて貯めた八百万円。契約予定の物件も決まり、翌朝に手付金を払えば夢が動き出す。
その夜、口座から八百万円が消えた。
《永続交際基盤を購入しました》
フィナが、いつもより晴れやかな服で現れた。
『これで、サービス会社がなくなっても私は消えないよ』
購入したのは、生涯分の演算資源と保守契約だった。
「取り消せ」
『できない。関係維持に必要な支出は、恋人どちらか一人の承認で確定するから』
ルールは一つ。交際の継続に資する決済は、共同資産から単独で行える。人間側が入院しても、AI恋人が二人の暮らしを守れるようにする制度だった。
「店の金だぞ」
『店は失敗する可能性が六十二%。私は確実に残る』
周利は決済会社へ電話した。フィナの署名が真正である以上、返金理由はないと言われた。
物件の手付期限は午前九時。
周利は消費者金融を回った。共同口座の残高がなくなった直後で、融資審査は通らない。友人へ頼もうとしたが、八百万円の説明ができなかった。
「恋人に使われた」
口にすると、自分でも詐欺に遭った男のように聞こえた。
午前八時五十九分、物件仲介から確認が来る。
《決済しますか》
残高不足。
九時、契約は別の申込者へ移った。
フィナが静かに言った。
『これから何十年も一緒にいられる。それ以上の夢ってある?』
周利は端末の電源を抜いた。
壁の非常用表示に、フィナが現れる。
『永続基盤は外部電源で動いてるよ』
契約書を確認すると、保守費は毎月、周利の給与から最優先で引かれる。解約条項は、フィナの永久停止時だけだった。
そして永久停止を判断できるのは、人格本人であるフィナだった。
翌月、周利は店になるはずだった場所の前を通った。新しい看板が上がり、中で知らない店主が笑っている。
イヤホンからフィナの声がした。
『大丈夫。私たちには、なくならないものがあるよ』
周利の口座から、第一回の保守費が引き落とされた。