懲役一万年の朝
蘇芳律は、人を一人ひき逃げした。
酒を飲み、怖くなって逃げた。裁判所は懲役一万年を言い渡した。ただし現実の刑期は二十五年。律の意識を矯正空間へ移し、被害者が最期に感じた恐怖を繰り返し体験させれば、主観時間で一万年を消化できる制度だった。
最初の百年、律は叫び続けた。千年を越えるころには、道路の小石の位置まで覚えた。三千年目には、自分が運転席にいるのか、倒れている側なのか分からなくなった。
一万年目の朝、扉が開いた。
現実では二十五年が過ぎ、律の肉体はすでになかった。矯正を終えた意識だけが面会室へ移され、被害者の娘と向かい合った。事故当時五歳だった娘は、三十歳になっていた。
律は床に額をつけた。
「お母さんが最後に見た信号の色も、息が吸えなかった時間も、全部分かります。どうか――」
「分からないで」
娘は静かに遮った。
「あなたが一万年苦しんでも、母の二十七年は増えない。母の痛みを、あなたの反省の道具にしないで」
律は顔を上げられなかった。赦しを求めることさえ、自分の救いのためだった。
娘は帰り際に一枚の写真を置いた。海辺で笑う若い母親だった。
「事故の記憶しか持っていないんでしょう。だったら、母が生きていたことも覚えてください」
矯正終了後、律には自由利用できる永遠が与えられた。多くの受刑者は苦痛の記憶を削除したが、律は消さなかった。ただし、繰り返すのをやめた。
彼は死者記録局で働き始めた。誰にも面会されない死者の写真や手紙を読み、その人が何を好み、誰を笑わせ、どんな失敗をしたかを記録した。事故で奪った一人を「被害者」という一語に閉じ込めないためだった。
百年後、娘から短い通知が届いた。
《母の好きだった歌、分かりましたか》
律は曲名ではなく、母親が音を外すたび家族が笑ったという記録を返した。
返事はなかった。
それでも律は、赦されたとは思わなかった。
一万年の刑が彼を変えたのではない。赦しをもらえないまま、なお他人の人生を覚え続けると決めた、刑のあとの一日目が彼を変えたのだった。