押入れの十万人記念プレート

笹森伊緒の部屋で、いちばん価値のあるものは押入れにあった。

動画配信サイトから届いた、登録者十万人の記念プレート。表にはゲーム配信者〈イオリス〉の名が刻まれている。昼は百貨店の案内係として、言葉の角度まで整えている伊緒が、夜は怪談ゲームで誰より大きな悲鳴を上げる。その落差を知られるのが怖くて、プレートは梱包材に戻したままだった。

梅雨の朝、上の階から水が漏れた。

押入れの天井に染みが広がり、伊緒は管理会社へ電話した。駆けつけた作業員が荷物を出していく。段ボールの底はもう濡れていた。

「これ、先に避難させますね」

記念プレートが裸で持ち上げられたとき、玄関に同僚の羽鳥が現れた。伊緒が急な欠勤を伝えたため、制服の替えと書類を届けに来たのだ。

銀色の板に、配信名が光る。

羽鳥は目を見開いた。

「イオリスさん?」

伊緒は濡れた床の上で、逃げ場をなくした。

「誰にも言わないで。百貨店の人が、あんな配信してるって知られたら」

「あんなって、どんなですか」

「叫ぶし、迷うし、格好悪いし」

「私、あれを見て笑えるようになったんですけど」

羽鳥はプレートをタオルで包んだ。半年前、介護していた父を亡くし、眠れない夜に偶然配信を開いたという。伊緒が幽霊より先に自分の足音に驚き、椅子から落ちた回だった。

「笑ったら、ひどい娘みたいで嫌だった。でも、久しぶりに笑えたことのほうが大事でした」

伊緒は、自分の悲鳴が誰かの夜に置かれていたことを初めて知った。

修理が終わるまで、羽鳥は窓辺でプレートを乾かした。帰り際、押入れへ戻そうとする伊緒に言う。

「そこ、また湿気ますよ」

翌週、伊緒は壁に細い棚を取りつけた。プレートを立て、出勤前に一度だけ眺める。

百貨店では相変わらず、背筋を伸ばし、静かな声で客を案内した。けれど休憩室で羽鳥が「昨夜、怖かったですね」と囁いたとき、伊緒は周囲を確かめなかった。

「次はもっと叫ぶよ」

押入れの扉は、その夜から閉めきらなくなった。