拍手は三十秒

母は、感謝の言葉を言う前に必ず私を見る。

順番を忘れないよう、寧々子、皆さま、幸せです、と三つに区切って練習してきたからだ。認知症の母が人前で恥をかかないための工夫だった。

市の「家族介護功労者」に選ばれたのは私だった。弟の郁斗は月に一度、果物を持ってくるだけなのに、授賞式への出席を求めた。母の食事エプロンも新調し、式の一週間前から塩分と水分を控えた。顔がむくむと、写真で疲れて見える。終了後には好きなだけ飲ませるつもりだった。私の苦労を自分の家族美談に混ぜたいのだと思った。

会場で私は、母の車椅子のブレーキを白いテープで留めた。緊張すると母が勝手に立とうとするからだ。司会者には、質疑応答を入れず拍手は三十秒にしてほしいと頼んだ。母は長い音が苦手で、長引くと次の動作を忘れる。三十秒なら、家で何度も練習した流れを崩さずに済む。

壇上で母は、寧々子、と言ったあと止まった。私が膝を二度叩いて合図しても、皆さま、が続かない。

代わりに客席の郁斗が立ち、スマートフォンをスピーカーへつないだ。

『ブレーキを外して。トイレは写真のあとって言われた』

母の声だった。郁斗が先月、私の留守中に録音したらしい。続いて、私が食事量を減らし、失敗を罰として撮影し、介護サービスの提案を断っていたという母の訴えが流れた。

私は説明した。母は忘れる。食べたことも、転んだ理由も、私に暴言を吐いたことも。だから記録と規則が必要だった。サービスを入れれば他人に甘え、私の言うことを聞かなくなる。

郁斗は、母の腕に残ったテープ跡の写真と、私が提出した「本人が外部介護を拒否」の書類を出した。署名は私の筆跡だった。

表彰状は渡されず、母は職員と郁斗に連れられていった。会場の人々は拍手をしなかった。私ほど母に人生を使った人間はいないのに、全員が被害者を見る目で母だけを見た。

静まり返った壇上で、私のスマートフォンから練習用の拍手音が流れ始めた。

三十秒きっかりで止まるよう設定したのは、母ではなく私だった。