拍手を待たない竪琴
一音も鳴らない竪琴を抱え、ロゼッタは黙って椅子へ座った。
彼女は酒場で歌う吟遊詩人だった。だが三日前から、弦を弾いても空気すら震えない。今夜の領主宴で演奏できなければ、住み込みの部屋まで失う。無音のまま指だけを動かす彼女を、酒場の客は最初こそ心配したが、二晩目には笑い始めた。昨夜は投げ銭の代わりに空の木椀を置かれたという。ロゼッタの指先には、音を探して何百回も弦を弾いた赤い筋が残っていた。
「呪いでしょうか」
修理師カナンは答えず、竪琴を壁へ向けて弾いた。沈黙。次にロゼッタへ向ける。やはり沈黙だったが、弦の根元に埋め込まれた小石だけが淡く点滅した。
それは百年前の劇場用に作られた《喝采石》。観客の拍手を吸い、音量へ変える仕組みだ。酒場で長年使われるうち、歓声に頼り切り、拍手のない一音目を出せなくなっていた。
「壊れたというより、甘やかされましたね」
カナンは喝采石を外さなかった。記憶された音色まで失われるからだ。石へつながる銅線を一本切り、代わりに細い銀線をロゼッタの手首へ巻く輪へ結んだ。
「今からは、拍手ではなく脈を拾います。怖くても心臓が動く限り、最初の音は出る」
ロゼッタが指を置く。小さく震える弦から、ぽろん、と雫のような音が落ちた。二音目は少し強く、三音目には店の瓶が共鳴した。彼女が歌い始めると、喝采石は観客もいないのに金色に輝く。
曲が終わっても、カナンは拍手をしなかった。窓ガラスに残った雨粒だけが、最後の和音に合わせて細かく震えている。ロゼッタは一度目を閉じ、誰にも促されず、もう一度最初の音を弾いた。今度は先ほどより大きく、迷いがなかった。
それでも竪琴は鳴り続けた。
ロゼッタは泣きそうな顔で笑い、宴一晩分の報酬を丸ごと置いた。
「高すぎます」
「最初の一音を買ったんです。次からは自分で出せます」
扉の前で振り返り、今度は堂々と弦を鳴らして夜の通りへ出ていった。
余韻が消えたころ、店のベルが一度鳴る。
続いて、外から誰かの拍手が聞こえた。