拝啓_小さいお椀をくれた人へ

拝啓、小さいお椀をくれた人へ

あなたは、病院食堂の配膳台にいた人でした。

小学五年生だった私は、長い治療を終えたばかりで、食欲がほとんどありませんでした。

父は「食べれば元気になる」と、大人用の定食を注文しました。大きな茶碗、焼き魚、煮物、味噌汁。

私は一口ずつ食べましたが、ご飯は半分以上残りました。

父は困った顔で言いました。

「せっかく作ってもらったのに」

責めるつもりではなかったのでしょう。けれど私は、病気だけでなく、食べられない自分まで悪いように感じました。

あなたは食器を下げに来て、残ったご飯を見ました。

次の日、私たちが食堂へ行くと、小さな子ども用のお椀を出してくれました。

「最初はこれくらいにしましょう。足りなければ、無料で足します」

父が「甘やかすことになりませんか」と尋ねると、あなたは答えました。

「食べきれる量を選ぶのも、食べ物を大事にすることです。体調が悪い人へ、元気な人の量を押しつけないことも」

その日のご飯は、茶碗の底が見えるほど少なかった。

私は全部食べました。

あなたは大げさに褒めず、空の椀を見て「ちょうどよかったですね」とだけ言いました。

翌日は少しおかわりしました。

退院するころには普通の茶碗へ戻りましたが、あの小さいお椀のことは忘れませんでした。

今、私は定食屋を営んでいます。

注文を受けるとき、ご飯の量を尋ねます。

〈小盛り・普通・大盛り〉

どれも同じ値段。

足りなければ、おかわりできます。

先日、一人の高齢者が「小盛りと言うのは恥ずかしい」と小声で話しました。

私は、あなたと同じように答えました。

「食べきれる量を選ぶのも、食べ物を大事にすることです」

その人は小盛りを完食し、帰り際に言いました。

「久しぶりに、残さず食べられました」

拝啓、小さいお椀をくれた人へ。

あなたは私に、食べ残さない方法だけを教えたのではありません。

人によって食べられる量は違い、それを恥じなくてよいと教えてくれました。

店のいちばん上の棚には、子ども用の小さなお椀を一つ置いています。

今も誰かの食卓で、「ちょうどよかった」を作るために。