拝啓_曲がった人参を選んだ人へ
拝啓、曲がった人参を選んだ人へ
あなたは、直売所で最後に残った私の人参を買いました。
二股に分かれ、足を組んだような形でした。隣には、まっすぐで色のきれいな人参が並んでいました。
客は私の人参を持ち上げて笑い、写真だけ撮って戻しました。
農家である父は、顔には出しませんでしたが、売れ残れば持ち帰って自家用にするつもりでした。
あなたは子どもと一緒に来ました。
子どもがまっすぐな一本を選ぶと、あなたは曲がった人参も籠へ入れました。
「どうして変なの買うの?」
「変じゃないよ。土の中に石があって、よけて育ったのかもしれない」
父は思わず、「味は同じです」と声をかけました。
あなたは答えました。
「同じなら、今日はこっちを食べてみます」
その夜、直売所の交流ページに料理の写真が載りました。
曲がった部分を輪切りにした、人参のスープ。
皮はよく洗って細切りにし、きんぴら。
葉の付け根は、傷んだところだけ除いて出汁に。
説明には、こうありました。
〈全部を使えたわけではありません。でも、形を見ながら、どこをどう料理するか子どもと考えました。土の中で曲がっても、甘い人参でした〉
父は何度もその文章を読みました。
翌年、父は直売所の値札を変えました。
〈まっすぐ〉
〈小さめ〉
〈曲がり〉
〈二股〉
値段に大きな差をつけず、それぞれに向く料理を書きました。小さい人参は丸ごと煮込みへ。太いものはすりおろしへ。曲がったものは切って使う料理へ。
見た目の違いを隠さず、欠点とも呼ばない売り方でした。
売れ残りは少し減りました。
でも父がいちばん喜んだのは、子どもたちが「今日はどんな形がある?」と畑の野菜を見るようになったことです。
拝啓、曲がった人参を選んだ人へ。
食材へ感謝するとは、何でも丸ごと食べることではありません。
育った形を笑いものにせず、食べられるところを確かめ、その命に合う料理を考えること。
あなたが籠へ入れた一本は、人参だけではありませんでした。
父が畑で大切にしてきた時間まで、きちんと食卓へ連れて帰ってくれたのです。