拝啓_祖父を子ども扱いしなかった人へ

拝啓、祖父を子ども扱いしなかった人へ

あなたの名前を知りません。

五年前、駅前の食堂で、祖父は注文用のタッチパネルを前に固まっていました。

私は向かいに座り、スマートフォンを見ながら言いました。

「分からないなら店員さん呼べばいいでしょう」

祖父は、以前は一人でどこへでも出かける人でした。けれど店も駅も病院も機械ばかりになり、外出のたびに私を頼るようになっていました。

そのことが、私は少し面倒でした。

あなたは隣の席から立ち、祖父へ声をかけました。

「どこまで分かりました?」

「注文したい物は決まってます。蕎麦と天丼のセット」

「では、そこまでは大丈夫ですね。最初の画面だけ一緒に見ましょう」

あなたは勝手に押しませんでした。

祖父を「おじいちゃん」と呼びませんでした。

大きな声でゆっくり話しすぎることもありませんでした。

祖父が一度、飲み物の画面へ迷い込むと、「間違いです」と言わず、「戻れば選び直せます」と言いました。

注文が終わるまで、後ろの席から店員を呼ぶ声が何度もしました。それでもあなたは時計を見ず、祖父が確認画面を読み終えるまで待ちました。

注文が終わったとき、祖父は久しぶりに胸を張りました。

「私にもできました」

あなたは答えました。

「最初から、できるところはたくさんありましたよ」

その帰り、祖父は駅の券売機も自分で操作しました。翌月には、一人で同じ食堂へ行きました。レシートを私に見せ、「今日もできた」と笑いました。

祖父は昨年亡くなりました。

財布には、あの店の古いポイントカードが入っていました。裏に祖父の字で、操作の順番が書いてありました。

今、私は地域のデジタル相談会を手伝っています。

券売機の前で困る人、セルフレジを避ける人、スマートフォンを触るのが怖い人に、まず尋ねます。

「どこまで分かりました?」

そして、相手の指が動くのを待ちます。

拝啓、祖父を子ども扱いしなかった人へ。

あなたが教えたのは、タッチパネルの押し方だけではありません。

助けるときにも、相手の誇りをこちらへ取り上げず、その手元へ残しておく方法でした。

祖父が最後まで持っていた「自分でできた」という小さな自信を、今度は私が、次の人へ返しています。