拝啓_青い上履きの人へ
拝啓、青い上履きの人へ
あなたの名前を、私は今も知りません。
二十二年前、高校の西階段で、私はごみ箱を蹴り倒しました。
父が逮捕されたという噂が学校じゅうへ広がり、教室へ戻れなかった日です。廊下で笑う声がすべて自分のことに聞こえました。腹が立ち、弁当の容器や紙くずが散るのを見て、そのまま立ち去ろうとしました。
階段の下から、青い上履きが見えました。
あなたは私を見ても、先生を呼ばず、何も尋ねませんでした。ただ、転がった空き箱を拾い、ごみ箱へ戻し始めました。
「俺がやった」
私が言うと、あなたは「うん」と答えました。
「先生に言うのか」
「言わない。でも、一人だと昼休みが終わるから手伝って」
なぜ、あなたが私を手伝うのか分かりませんでした。悪いことをしたのは私です。
あなたは紙くずを畳みながら言いました。
「倒したのが一人でも、片づけるのは二人でできるでしょう」
私はしゃがみました。
二人で片づけても、私が蹴った事実は消えませんでした。けれど、その日の最後の出来事を「ごみ箱を倒した」にしなくて済みました。
片づけ終えると、あなたは手を洗いに行きました。私は礼を言えず、クラスも学年も確かめませんでした。翌月には転校したので、二度と会えませんでした。
今、私は児童自立支援施設で働いています。
物を壊した子、誰かを傷つけた子に、したことをなかったことにはできないと話します。そして必ず続けます。
「でも、その次に何をするかは選べる」
これは私の言葉ではありません。青い上履きのあなたから、階段で拾った言葉です。
先日、一人の少年が食堂の盆を投げました。私は黙って破片を拾い始めました。少年はしばらく立っていましたが、やがてしゃがみました。
「俺がやった」
「うん。一人だと夕飯までに終わらないから、手伝って」
少年は泣きながら、最後の一片を拾いました。
拝啓、青い上履きの人へ。
あなたの小さな親切は、私を立派な人間にしたわけではありません。
ただ、悪い一日を、悪い行いだけで終わらせない方法を教えてくれました。
二十二年たった今も、私は誰かと一緒に、その続きを片づけています。
千鳥川征也