支店長夫人の番号札

銀行主催の親子マネー教室で、梓川森真理絵は受付番号一番を当然のように取った。

「主人がこの支店の支店長ですから、質問があれば私に聞いてください」

列の後ろにいた高辻原汐瑛へ、彼女は親切そうに言った。

「ご主人は銀行員じゃないのよね? 難しい話になったら、あとで私が簡単に説明するわ」

汐瑛は「金融関係です」とだけ答えた。

教室が始まり、真理絵の夫・八雲田宏親が壇上へ立った。

「本日は、持株会社から特別講師をお招きしています」

入ってきたのは汐瑛の夫・高辻原宗憲だった。

国内百店舗を束ねる銀行持株会社の代表取締役社長。宏親を含む全支店長の任命権を持ち、今回は子ども向け金融教育を全国展開するため、家族と匿名で参加していた。

真理絵は番号札を握りつぶした。

「社長なら、受付で言ってくだされば特別室へ案内したのに」

宗憲は首を振った。

「一般のお客様がどのように案内されるかを見るために来ました」

授業の途中、子どもから「お金持ちは先に並んでいいの?」という質問が出た。真理絵の息子が、母からそう教わったと話したのだ。

会場が静まる。

宏親は妻へ向き直った。

「番号一番は、開場前から並んだ家族のものだったはずだ」

受付記録を確認すると、真理絵は行員へ夫の役職を伝え、先頭の番号札と交換させていた。若い行員は断れず、元の家族へ謝っている。

宗憲は行員を責めなかった。

「役職を使う家族へ、現場が一人で対抗できない仕組みを改めます」

真理絵は慌てて汐瑛へ謝った。

「ほんの席順よ。支店長の家族が銀行をよく知っていると思っただけで」

汐瑛は元の番号一番の家族へ札を返した。

「知っているなら、順番を守る理由も分かるはずです」

宏親は妻から〈支店長夫人〉と印刷した私製名刺を回収し、全行員へ家族への特別対応禁止を改めて通知した。

番号札一番が本来の子どもの手へ戻り、宏親が社長夫妻へ深く頭を下げた瞬間、支店長夫人を名乗って銀行の上に立った真理絵だけが、自分の夫の番号を初めて正しく数えた。