文化祭は来なかった

御厨茉白は、誰もいない体育館を想像しながら歌った。

ステージの代わりは、旧校舎三階の音楽準備室。壁には〈文化祭まであと一日〉と書かれた紙が、半年前から貼られている。

台風で校舎が浸水し、文化祭は中止になった。その後、耐震検査で旧校舎の閉鎖が決まり、軽音部の三人組〈余白〉は、一度も人前に出ないまま解散することになった。

「客、何人くらい来たと思う?」と宇賀神陸が訊く。

「五十人」と浜崎乃亜。

「盛りすぎ。俺のクラス、誰も曲名知らない」

「じゃあ四十九人。私が一人分行く」

乃亜はドラム椅子に座ったまま、進路希望調査票を折っていた。浪人して美大を受け直す。陸は調理専門学校へ行き、実家の食堂には戻らないと言う。茉白は父親の転勤で、来週には海のない県へ引っ越す。

「新しい学校でもバンドやる?」

陸に訊かれ、茉白はマイクの網目を親指でなぞった。

「転校生がいきなりボーカルって、感じ悪くない?」

「感じ悪いくらいでちょうどいいよ」

「陸は包丁でリズム取れば」

「乃亜は石膏像叩くなよ」

くだらない会話が、客席のない部屋ではよく響いた。

最後の曲は、文化祭のために作った三分十四秒の曲だった。陸のベースが少し遅れ、乃亜のフィルが走り、茉白は二番の歌詞を忘れた。直す時間はいくらでもあったはずなのに、三人とも笑って演奏を続けた。

終わると、陸がスマートフォンの録音を止めた。

「これ、上げる?」

「どこに?」

「三人のチャット」

「客、三人じゃん」

陸はそれでも音源を送った。三台の端末がほとんど同時に震え、狭い部屋の中で、終わったばかりの曲が三重に再生されかけた。乃亜が慌てて全部止めた。

乃亜が言い、また笑った。

片づけを終えても、文化祭用のチラシだけは剥がさなかった。茉白の横顔、陸の青いベース、乃亜が描いた星のロゴ。開催日には赤い線が引かれ、「中止」と小さく書き足されている。

退出前、乃亜は進路希望調査票をドラム椅子の上に置いた。三人がどこへ行くかは書かれていたが、〈余白〉の行き先を書く欄はなかった。

扉を閉めると、紙の向こうで、来なかった文化祭がいつまでも一日前のまま残った。