旅先ではない土曜日
史帆は土曜の午後三時、オフィスの休憩室で紙パックのカフェオレを飲んでいた。休日出勤は予定表に書けば仕事だが、SNSに載せるには説明が長すぎる。
スマートフォンには、空港の窓を背景にした友人の写真が表示されていた。〈今年三回目のひとり旅。思い立ったら動くのがいちばん〉。続く投稿には海、ホテルの朝食、白いワンピース。青い空が画面いっぱいに広がっている。
休憩室の窓から見えるのは、隣のビルの室外機だった。
史帆は去年から旅行用の積立をしていた。けれど歯の治療と冷蔵庫の故障で、残高はほとんど元に戻った。行けない理由は現実的で、現実的な理由は写真にならない。
〈行動力がすごい〉とコメントを打ちかけて消した。羨ましいと思うことと、友人を祝うことは両立する。それなのに、羨ましさを持った時点で、自分が小さな人間になった気がした。
机の上には、昼に食べたおにぎりのレシートがある。百七十八円。友人のホテルの窓から見える海と比べるには、あまりにも薄い紙だった。
史帆はカフェオレのストローを噛み、投稿を閉じた。代わりにカメラを起動し、窓辺へ紙パックを置いてみた。室外機と曇り空と、白い蛍光灯。撮っても誰も行きたくならない景色だった。
それでも、今の自分がいる場所だった。
写真は投稿せず、端末に残した。今日ここで二時間働けば、月曜の自分が少し楽になる。旅行ほど記憶には残らなくても、生活を支える時間ではある。
休憩終了まであと七分。史帆は近くの地図アプリを開き、帰り道にある小さな公園を見つけた。遠出ではないし、名所でもない。ベンチが三つあるだけだった。
仕事を終えたら、そこでコンビニのアイスを食べようと思った。旅の代わりとは呼ばない。代わりにしたら、また比べることになる。
海へ行けない土曜日に、室外機を眺めながら甘いカフェオレを飲んだ。それも一日の形として残していい。
史帆はストローを最後まで吸い、空になった紙パックをきちんと畳んだ。