暗い水槽の一分

志摩沙良は、水族館でも自分の顔を確認していた。暗い館内は写真が難しい。頬の影を消し、目の下を明るくし、クラゲより白い肌に整えてから投稿する。仕事は化粧品会社のSNS担当で、きれいに見せることは職務でもあった。

本当は、社内の新規企画に応募したかった。けれど応募フォームには、提案動画を添付する欄がある。自分の声、自分の顔、自分の言葉。三十回撮って、全部消した。企画そのものより、映った自分の頬の左右差や、語尾の震えが気になった。資料だけなら自信があるのに、顔が添えられた瞬間、提案まで値踏みされる気がした。

同僚には「まだ内容を詰めている」と言った。実際には内容は二週間前に完成している。詰めていたのは、画面の中へ入っても傷つかない自分の形だった。

閉館前、人気のないクラゲ展示で音声ガイドが勝手に起動した。

「暗い方にいる自分も、一人に数えますか」

沙良はイヤホンをしていない。見回しても誰もいない。水槽のクラゲが、照明の切れ目へゆっくり沈んでいく。

「照明のない水槽を、一分だけ見てください」

声はそこで止まった。

隣の水槽は点検中で、青い光が消えていた。黒いガラスに、沙良の輪郭だけが映る。毛穴も目の下のくまも見えない代わりに、笑顔も肩書も見えない。スマートフォンを構えない一分は長く、途中で何度も画面を触りたくなった。

やがて水槽の奥で、小さなクラゲが一匹だけ淡く光った。誰に見せるでもなく、縮んでは開いている。

ベンチに座り、沙良は応募フォームを開いた。締切まであと四十分。保存していた動画の中から、言い間違えて笑ってしまった一回を選ぶ。髪は片方だけ耳にかかり、最後にカメラが少し揺れていた。

修正アプリが自動で〈顔を最適化しますか〉と尋ねる。沙良は〈しない〉を押した。

動画を添付し、企画名を入力する。完璧には遠い。けれど再生画面の自分は、暗い場所でも呼吸していた。

送信した瞬間、点検中だった水槽の灯りが戻り、ガラスの中と外を同時に青く照らした。