最短経路ではありません

私は、校内案内端末NAVI‐七号。

質問を受ければ、目的地までの最短経路を床へ光で表示する。

六月十五日、二時間目終了後。

一年生が私の前へ来た。

「保健室は、どこですか」

顔面蒼白。歩行速度、通常の四十六パーセント。

私は回答した。

〈直進二十八メートル。右折。所要一分四十二秒〉

一年生は一歩進み、壁へ手をついた。

そこへ別の生徒が来た。

「案内するよ」

「場所、分かる?」

「端末が教えてくれる。でも、一人で歩けるとは限らないでしょう」

その生徒は一年生の鞄を持ち、私が示す光の上をゆっくり進んだ。途中で二回休み、閉まりかけた防火扉を押さえ、水飲み場へ寄った。

到着まで八分十三秒。

私は記録した。

〈最短経路から六分三十一秒超過〉

しかし養護教諭は言った。

「よい案内でした」

計算が合わなかった。

一週間後、案内した生徒が体育館前で転倒した。膝から出血。周囲に人はいない。

彼は私へ尋ねた。

「保健室、どっちだっけ」

私は最短経路を表示した。

彼は立とうとして、また座った。

以前の記録を検索。

案内とは、経路の提示だけではない可能性。

私は放送回線を使い、近くの教室へ通知した。

〈けが人がいます。同行できる人を一名求めます〉

三十秒後、あの一年生が走ってきた。手には小さな救急袋がある。

「今度は僕が案内する」

膝へ絆創膏を貼り、鞄を持ち、二人で歩き始めた。

私は床の光を、通常より遅い速度で点灯させた。

角へ着いても、二人が来るまで次を光らせなかった。

到着まで九分二秒。

記録欄へ入力する。

〈超過時間――なし〉

〈必要時間――九分二秒〉

その後、私の前で「保健室はどこ」と尋ねる生徒がいると、近くの誰かが先に声をかけるようになった。

「一緒に行こうか」

「鞄、持とうか」

「急がなくていいよ」

私は人間の善意を数値化できない。だが、同行者がいる場合、途中で立ち止まっても目的地へ到着する確率が上がることは学習した。

翌月、私の案内音声は更新された。

旧――最短経路をご案内します。

新――無理のない経路をご案内します。必要なら、同行者を呼びます。

私は今も、保健室までの場所を正確に知っている。

けれど道を教えることと、たどり着けるようにすることが同じではないと、二人の生徒から学習した。