未達感情、恋

【感情通信ログ/送信者・棗田瑚枝】

宛先――波佐間透弦

感情種別――恋愛

強度――三一

結果――未達

理由――受信者側に対応感情なし

木星圏では、言葉より先に感情を送れる。

ただし相手に同種の感情がなければ、通信は届かない。心を一方的に流し込むことを防ぐための安全機構だった。

瑚枝は観測基地の整備士、透弦は長距離探査船の航法士だった。

二人は六年間同じ食堂で朝食を食べ、休暇には氷衛星の展望塔へ行った。

彼が笑うたび、瑚枝は恋愛パケットを送った。

強度三一。四十八。六十三。

結果はいつも未達だった。

透弦は何も知らない。

端末は、届かなかった感情を受信者へ通知しない。

【送信七十二回目】

感情種別――恋愛

強度――八九

結果――未達

やがて透弦は、帰還予定のない外縁探査へ選ばれた。

「見送り、来る?」

「勤務がなければ」

「そこは休めよ」

「恋人でもないのに」

「友達だろ」

友達。

言葉なら、簡単に届いた。

出航前夜、瑚枝は未達ログをすべて開いた。

削除すれば、誰にも知られず片思いを終えられる。

保存すれば、自分だけの証拠として残る。

彼女は七十二件を削除した。

届かないよう設計された感情を、あとから彼へ見せるのは、機械が守った境界を人間が破ることだと思った。

出航当日、探査船が係留を離れる。

瑚枝は最後に別の感情を送った。

【送信】

感情種別――別離の悲哀

強度――九四

結果――到達

初めて、端末が青く光った。

数秒後、返信が来る。

【受信者・波佐間透弦】

感情種別――別離の悲哀

強度――九一

付記――瑚枝と離れるのは、想像していたより寂しい。

瑚枝は泣きながら笑った。

恋が通じたわけではない。

彼も同じように寂しい。ただそれだけだ。

通信窓に透弦の顔が現れた。

「今、何か送った?」

「さよなら」

「それ、感情種別じゃなくて言葉だろ」

「言葉なら届くから」

彼は少し黙った。

「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

船が光点になるまで、瑚枝は窓を見ていた。

七十二回の恋愛は一度も届かなかった。

最後の悲しみだけが、同じ形で二人の間を渡った。

それを希望とは呼ばなかった。

片思いは片思いのまま、正しく終わった。

けれど別れを悲しんだ人が宇宙の向こうにも一人いるという事実は、届かなかった恋を抱えて生きるには、十分に温かかった。