東京行き_箱だけ逆

東京行き、箱だけ逆

 新幹線が発車して十分後、鷲尾更紗は、自分が他人の弁当を持ってきたことに気づいた。

 同じ駅の紙袋だった。隣の席にいた白髪の男が、途中駅で降りた際、取り違えたらしい。

 ふたを開けると、俵型のおにぎりが六つ。小さな蛸のウインナー。包み紙には子どもの字で書いてあった。

〈じいじへ。きょうは、ちゃんと大きなはくしゅをしてください。まちがえても「まだまだだ」と言わないこと〉

 更紗は思わず笑った。

 彼女は十年ぶりに、実家へ帰る途中だった。老舗和菓子店を継がず、洋菓子職人になったことで母と喧嘩した。今日は母が店を畳む日だという。

 謝るつもりで切符を買ったのに、何を言うか決められないままだった。

 一方、途中駅で降りた岩城壮六も、見覚えのない弁当に気づいていた。

 中には形のそろわないサンドイッチと、焦げた焼き菓子が一つ。紙には、男の字でこうあった。

〈言葉が出なければ、まず同じ卓に座ればいい。食べているあいだ、人は帰りにくい〉

 壮六は、音楽家を目指した娘へ「遊びは終わりにしろ」と言い、十五年会っていなかった。今日は孫の初舞台だった。娘から招待されたわけではない。孫がこっそり切符を送ってきたのだ。

 二人は駅員を通じて連絡を取り、弁当はそのまま食べることにした。

 更紗は蛸のウインナーをかじり、母の店の引き戸を開けた。

「まだまだだって、言わないで聞いて」

 母は驚いたあと、店の奥の卓を指した。

 壮六は焦げた焼き菓子を食べ、客席の最後列で拍手した。誰より大きく、手が痛くなるまで。終演後、娘は廊下の端で待っていた。

「間違えなかった?」

「間違えた。十五年も」

 二週間後、更紗の店に小包が届いた。

 中には、きれいに洗われた弁当箱と、壮六からの短い手紙があった。

〈孫に、蛸の足は八本だと教わりました。あなたの紙の言葉で、娘と同じ卓に座れました〉

 更紗も箱を返した。母と一緒に作った最中を一つ入れた。

〈私も帰れました。間違った弁当のほうが、あの日の私には正しかったようです〉

 壮六から最後の返事が来た。

〈弁当は、食べる相手を間違えても、背中を押す方向までは間違えないらしい〉

 更紗はその手紙を、母の店から譲り受けた古い菓子箱へしまった。

 そして新幹線へ乗る朝には、弁当の紙袋へ必ず大きく名前を書くようになった。

 ただし、ときどきは間違いも悪くないと思いながら。