林檎の頁をひらく午後

古書店併設のカフェで、奏絵が頼んだのは紅茶だけだった。ところが読んでいた料理本を閉じた途端、薄い林檎のタルトが運ばれてきた。

「注文していません」

「もう代金はいただいています」とカフェ店主の片桐は言う。

候補は片桐、隣の古書店主・古座、そして奥の席で同じ本を見つめている真鍋という女性だった。古座は本を売った人間を知っている。片桐なら皿を用意できる。真鍋はさっきから、奏絵が頁をめくるたびに落ち着かない。

皿のココアには「四七」と書かれていた。タルトの縁には、料理本の余白にあるのと同じ三本一組の印がついている。林檎は、印刷された作り方に反して皮つきだった。四十七頁の書き込みにも「皮は残す」とある。

「この本に書いたの、真鍋さんですか」

真鍋は観念して席を立った。本は、文字を追うのが苦手だった息子と一緒に使ったものだった。手順を見失わないよう三本線で区切り、色が分かるよう皮を残した。息子が家を出た後、片づけの勢いで売ってしまったが、書き込みだらけの本を誰かが買ったと知り、申し訳なく思っていたという。

「返してほしいわけではないんです。ただ、汚してしまって、ごめんなさいって」

奏絵は首を振った。先週、この本どおりに焼いたタルトは初めて失敗しなかった。欄外の「ここで一度休む」という一文に、料理だけでなく自分まで救われた気がした。

片桐は、真鍋が持ってきた昔のレシピで今日の一切れを焼いた。古座は本の買い戻しを提案されたが、奏絵が気に入っているからと断ったらしい。

奏絵は料理を始めるたび、手順を一つ飛ばして失敗した。けれどこの本の余白は、知らない誰かが隣で『ここまでで大丈夫』と声をかけるようだった。汚れではなく、迷った跡が残っているから信じられた。真鍋にとって息子へ渡した目印が、時間を越えて別の台所にも届いたのだと思うと、本の重さが少し変わった。

タルトを噛むと、皮が小さく音を立てた。

真鍋は笑って、まだ開かれていない頁を指した。

「四十八頁も、少しだけ余計なことが書いてあります」