梟の森の焼きおにぎり
峠道の途中に、夜だけ開く食事処「木守」がある。
古い山小屋を改装した店で、客席は六つ。外では、ときどき本物の梟が鳴く。店主の陣内は、鳴き声がすると鍋の火を少し弱める癖があった。
長距離トラックの運転手、鷲尾孝臣が入ってきたのは、雨の夜だった。
「焼きおにぎり二つ。味噌と醤油」
「汁は?」
「いらない」
「顔が汁を欲しがってる」
陣内は勝手にきのこ汁もつけた。
孝臣はテーブルへ携帯電話を伏せた。画面には、故郷の姉からの着信が五件並んでいる。父が退院した、と聞いたのは三日前だ。たいした病気ではないらしい。それでも電話に出られなかった。
父とは、十年前に家業を継がないことで揉めた。「好きに走ればいい」と吐き捨てられ、その通り運転手になった。帰る理由ができても、帰り方が分からない。
網の上で、おにぎりが焼ける。醤油を塗るたび、香ばしい匂いが立ち、雨で冷えた店内の空気を少しずつ変えた。味噌には胡桃が混ぜてあり、端が焦げると甘い香りがした。
外で、ホウ、と低い声が鳴った。
「梟は、帰る場所を間違えないのかな」
孝臣が言うと、陣内は椀へ汁をよそった。
「毎晩、違う枝に止まるよ」
「それでも帰ったことになる?」
「腹が休まれば、そこが今夜の帰る場所だろ」
孝臣は醤油の方を手に取った。表面はぱりっと硬く、中は湯気を抱えている。噛むと、米の甘さが焦げた醤油の苦みに追いついた。
「親父、俺のトラック嫌いなんだ」
「乗せたことは?」
「ない」
「じゃあ、まだ嫌う資格が足りないな」
味噌の方を食べ終えるころ、携帯がまた震えた。今度は姉ではなく、父からだった。
孝臣はしばらく画面を見て、それから通話を押した。
「……退院したんだってな」
向こうで何か短く答える。
「今、峠だ。朝にはそっちへ寄れる。荷台は空だけど」
また、低い返事。
「そうか。じゃあ助手席、片づけとく」
電話を切ると、陣内は何も聞かず、きのこ汁を温め直した。孝臣は今度こそ断らず、両手で椀を包んだ。
雨音の向こうで梟が鳴いた。胡桃味噌の焦げた匂いと、茸の土の香りが、朝まで走る道を先に温めているようだった。