死者が借りた一万枚
商家フォル家の競売日、ローディク・エイム男爵は、一万枚の金貨を記した借用証を卓上へ叩きつけた。
「亡き当主が私から借りた金だ。返せぬなら店も倉庫も、娘も私の管理下に入る」
喪服のカヤナ・フォルは、父の椅子の前で借用証を受け取った。男爵は集まった商人たちへ聞こえるように笑う。
「女一人に大店は扱えまい。私の甥へ嫁げば、借金だけは待ってやる」
悪事はそれだけで十分だった。借金を捏造し、婚姻と財産を同時に奪うつもりなのだ。
カヤナは日付を指した。
「父が署名したのは、霜月十八日とありますね」
「そうだ。私の執務室で、泣いて頼んできた」
「その証言にも署名を」
ローディクは得意げに追認書へ書いた。〈霜月十八日正午、故人本人と面会し、金貨一万枚を手渡した〉。男爵印まで押し、競売人へ渡す。
カヤナは父の死亡証明を出さなかった。代わりに借用証を窓へかざした。
紙の隅に、小さな雪花の透かしが浮いた。今年から男爵領で使われ始めた、新しい公証紙の印だ。製紙組合の帳簿によれば、この紙が出荷されたのは霜月二十日。父が埋葬された翌日だった。
「紙が新しくても、古い契約を書き直しただけだ!」
「でしたら、今署名された面会証言はどうなります?」
競売場の扉が開き、王立公証院の査察官が入る。彼は男爵の追認書を受け取り、印章へ鑑定砂を振った。赤い煙が立ち、借用証と追認書の両方から同じ作成時刻が現れる。今朝、男爵の執務室で連続して作られていた。
さらに借用証の署名欄を温めると、父の名の下からローディクの魔力紋が浮いた。偽署名を定着させた本人の痕跡である。
商人たちの視線が一斉に冷えた。男爵の甥は婚約書をそっと卓上へ戻し、逃げるように壁際へ下がる。
カヤナは競売札を伏せた。店も倉庫も、最初から売られる理由などなかった。
査察官が黒革の令状を開く。
「ローディク・エイム。公文書偽造、財産詐取未遂および強制婚姻の容疑により、王立公証院は貴殿の逮捕を命じる」