氷糸谷は三日眠る
小夜谷ユラの谷では、三日目の夜明けだけ、葦が銀色になる。
葉先に生まれた霜が細い糸へ伸び、朝風にほどける前に、氷蜘蛛たちが空の糸巻きへ巻き取る。正午には二十巻きの氷糸が完成し、谷口の転送箱から仕立屋組合へ届く。冷気を保つ布の材料として決まった値で売れ、代金は自動で領地帳へ記された。
ユラは初回の通知音に肩を跳ねさせた。
工房時代、その音は生産遅れを告げるものだったからだ。紺の制服の袖は糸車で擦り切れ、指先には針傷が重なっている。休みの日にも「王都向け百着、至急」と連絡が入り、断れば仲間が困ると脅された。
恐る恐る通知を開く。
〈氷糸二十巻き、販売完了。次回生成まで三日。作業はありません〉
最後の五文字が、どんな報奨金よりうれしかった。
ユラは谷の時計を外してしまおうかと思ったが、氷蜘蛛たちの仕事は時計なしでも終わった。朝日が差せば巻き、霜が消えればやめる。余分な一巻きを作ろうとはしない。工房では目標数を越えるほど褒められ、翌日からその数が最低基準になった。ここでは二十巻きが二十一巻きに増えないことこそ、土地が約束を守った証だった。
その日の午後、元工房主から青い蝶が飛んできた。蝶は机に止まり、甲高い声を再生する。
『ユラ、戻って。大口注文なの。あなたなら夜通しで間に合うでしょう?』
「間に合わせません」
『困っているのよ。賃金は上乗せするわ』
「私もずっと困っていました。眠れなくて」
『職人が注文を断るなんて――』
ユラは谷を見た。葦はもう普通の緑に戻り、蜘蛛たちは葉陰で脚を畳んでいる。領地は三日に一度だけ実り、その後は何も生まない。その空白まで含めて、正しい周期なのだ。
「今は領主です。私の領地は休む日を守ります。私も守ります」
蝶を窓の外へ放すと、声は谷風にほどけた。
ユラは入金通知を消音にし、氷糸ではなく毛糸の小さな膝掛けを自分のために編み始める。五段編んだところで欠伸が出たので、針を置いた。
完成期限のない膝掛けを胸に乗せ、そのまま窓辺の長椅子で眠った。