沈黙する診察室
診察室で、医師だけが何も言わなかった。
私は机の向かいに座り、胸ポケットの録音機を確かめた。スイッチは廊下にいるうちから入れてある。医師が脅迫めいた一言でも発せば、病院の相談窓口へ提出するつもりだった。
「夫の薬を間違えたこと、認めてください」
医師は答えず、両手を机の上に置いた。十本の指先には透明なテープが巻かれている。感染対策にしては妙だった。
一週間前、夫は意識不明で運び込まれた。処方された睡眠薬の過量摂取。私は医師の説明不足を訴えたが、医師は「処方量と合わない」と言い続けた。薬袋はなぜか台所の流しで水に濡れ、服用時刻の印字だけ読めなくなっていた。それ以来、無言電話や白紙の封筒が届くようになった。犯人は医師に違いない。
「黙っていれば済むと思ってるんですか」
私は机を叩いた。相談窓口へ送った告発文も机に広げた。そこには、医師が薬を追加した日時まで詳しく書いてある。だがその日時は、夫の診療記録にはなく、私の手帳にだけ記されていた。
医師はメモ用紙に一行書き、こちらへ向けた。
医師はメモ用紙に一行書き、こちらへ向けた。
――声を記録されると、都合が悪いのはあなたですか。
意味が分からず、私は笑った。
「被害者を脅すつもり?」
医師は次の紙を出した。夫の胃から検出された薬の一覧。その横に、私が昨日受け取ったばかりの別の処方薬の番号があった。夫には一度も処方されていない薬だ。
廊下で靴音が止まる。
医師は指先のテープを剥がした。下には細い切り傷が並んでいた。三日前、私が診察室へ忍び込み、記録を消そうとした夜、揉み合ってできた傷だった。
無言電話はなかった。着信履歴は、私が番号を登録せず自宅へ掛け、相談窓口に見せるため作ったもの。白紙の封筒からは、私の指紋しか出なかった。
扉が開き、警察官が入る。医師は最後のメモを私の録音機の前に置いた。
――夫は今朝、意識を取り戻しました。薬を飲ませた人の名前も話しました。
沈黙していたのは、加害者だからではない。
被害者の証言を、私に漏らさないためだった。