沼鎧がほどける夜干し棚
沼喰い泥は、鎧を食べない。鎧の隙間に住みつき、持ち主ごと自分の殻にする。
重戦士ブリガンが宿《梟の釘》へ転がり込んだとき、全身鎧は緑黒い塊になっていた。肘も膝も半分しか曲がらず、兜の隙間から覗く顔は三日寝ていない色をしている。
「明朝、城門で汚染検査だ。これが残っていれば装備は焼却。二十年使った鎧なんだ」
宿主カシェルは槌を持たず、裏庭の屋根下へ案内した。
そこには物干し竿ほどの高さの棚が一台。白木の横棒に小さな鉄歯が並び、下には乾いた砂が敷かれている。
「夜干し棚です。一晩、鎧を預けてください」
「脱げないから困ってる」
「着たまま掛かればいいんです」
ブリガンが悪態をつきながら背を預けると、鉄歯が肩、肘、腰の継ぎ目へ勝手に噛み合った。棚が、がこん、と一度揺れる。鎧の内側から泥が悲鳴を上げた。
最初の一滴は拳ほどあった。次は蛇のように長く、その次は指の間から糸になって落ちた。棚は鎧を引くのではなく、泥だけに「ここは干し場だ」と言い聞かせているらしい。
棚の下へ落ちた泥は、まだ鎧へ戻ろうと蠢いた。だが乾いた砂に触れるたび、小さく縮み、ただの土くれになった。鉄歯は古い補修跡を避け、持ち主が残した傷だけは決して削らない。
一刻後、右の小手が外れた。
ブリガンは露出した手を見つめ、それで顔を覆った。
「指が、動く」
カシェルは毛布を一枚掛け、棚の前に椅子を置いた。客室へ運ぶ必要はなかった。ブリガンは鎧が一枚ずつほどける音を聞きながら、座ったまま眠った。
朝には、白木の棚に磨かれた鎧一式が整然と掛かっていた。傷も勲章の刻みも、そのままだ。砂の上では沼喰い泥が小さな乾燥塊になっている。
ブリガンは銀貨三枚の料金に、同じだけ上乗せした。
「次の沼討伐の夜も、この棚を借りる。俺の鎧は、焼かせない」
鎧を軽く鳴らして出ていく背中は、昨日より一回り小さく、人間らしかった。
カシェルが乾いた泥を箒で集め終えたとき、表のベルが、からん、と次の仕事を告げた。