海風が乾かす返事
カイムの開拓地は、海に面していた。
畑にできそうな平地は猫の額ほど。井戸もなく、古い小屋の戸は潮風で傾いている。追放を言い渡した宰相は「魚でも眺めて余生を送れ」と笑った。
だから初日、カイムは本当に魚を眺めた。
岬の下で小鯖の群れが銀色に回っている。小屋には錆びた針と麻糸があり、浜には細い流木が落ちていた。今日の仕事を、一本の釣り仕掛けを作ることに決める。
元騎士団長の手は、剣柄より細い針を扱うのが苦手だった。結び目は二度ほどけ、餌の貝は指から滑った。それでも怒鳴る副官はいない。海風だけが失敗を乾かしていく。
カイムは一度、小屋へ戻って古い椅子の脚から小さな糸巻きを削った。強く引かれても指を切らないためだ。戦場では部下の装備不足を訴えても、予算がないと退けられた。自分一人の道具なら、誰の許可もいらない。
三度目の仕掛けを落とすと、糸が指へ食い込んだ。
引き上げたのは、青い背を震わせる小鯖だった。勲章ほど光ってはいない。だが、王都でもらったどの褒美より、手の中で確かな重さがあった。
浜石を組んで火を起こし、腹を抜いた鯖へ塩を振る。網の代わりに青い枝を渡し、その上で炙る。脂が火へ落ち、じゅう、と鳴った。焦げた皮と潮の匂いが混ざり、空腹が一気に目を覚ます。
そこへ沖から軍用の小舟が寄った。使者が砂を蹴り、反乱鎮圧のため戻れと封書を差し出す。
カイムは受け取り、封を見た。かつてなら、命令を読む前に膝をついていただろう。
今は封書を流木の上へ置き、焼けた鯖を返した。
「返事は?」
「海風に乾かしてから考える」
使者が呆れる横で、鯖の皮がぱりっと裂けた。カイムは熱い身を指でつまみ、湯気ごと口へ運ぶ。
使者にも一切れ渡すと、彼は戸惑いながら口へ運び、やがて無言で二切れ目を待った。反乱の報告をする声より、腹は正直だった。
日が海へ沈み、小屋の割れた窓が赤く染まる。明日は戸を直そう。その次に畑へ海藻をすき込もう。予定は自分で一つずつ決められる。
王都は遠い。夕食は目の前だ。その順番を、自分で決められることが何より旨かった。