消した正時音

 入江仁美は、電鈴舎へ古いデジタル腕時計を持ち込んだ。

 銀色の四角いケースに黒い液晶。時刻は表示されるのに、毎正時の電子音が鳴らなくなったと思い、修理を頼んだ品だった。

 店主が裏蓋を開ける前に二つのボタンを同時に押すと、画面の隅へ小さな鐘の印が現れた。

「故障ではなく、音が切ってあります」

 店主は午後八時に時刻を進めた。ぴ、と短い音が鳴る。仁美はその一音に、反射的に鞄の中を見た。

 会社の端末は、休日でも同じ音を立てる。企画部の共有チャットには、土曜の催事へ出られないかという課長の書き込みが来ていた。断る人が少ないから、独身で近くに住む仁美へ順番が回る。予定がないなら出られるでしょう、と言われるのが嫌で、未読のまま時計店へ来た。

 端末を伏せても、音が鳴るかもしれないと思うだけで、休日は待機時間に変わった。予定がないことを、会社は自由ではなく空欄として扱った。

 仁美は毎時間鳴る時計なら、仕事の区切りをつけられると思っていた。音がすれば立ち上がり、湯を沸かし、画面から目を離せる。けれど今の一音は、休みの日まで誰かに呼ばれる感覚とよく似ていた。

「やっぱり、鐘の印を消してください」

 店主は同じ二つのボタンを押した。印が消える。液晶の数字はそのまま一分ずつ進んでいた。

 店主は操作説明書の複写へ、鐘の印を赤鉛筆で描き、その上に斜線を引いた。修理代は取らず、電池の残量確認だけを会計した。紙袋にも入れず、時計を仁美の手首へ戻す。

 仁美は会社の端末を出した。共有チャットを開き、課長の依頼へ返信する。

〈土曜日は出勤できません。今後、休日の連絡は緊急時を除き月曜日に確認します〉

 予定の有無は書かなかった。送信したあと、通知設定から週末の音を切る。画面の時計は二十時七分になっていた。

 店主はカウンター下のラジオを閉店の曲へ替えたが、音量は上げなかった。

 仁美の腕時計も、もう鳴らない。静かになっただけで、時間は止まっていなかった。