湯気の下の最初の畝

農政院を首になったトーヤは、北辺の土地を見て目を細めた。

周囲はまだ雪景色なのに、中央だけ土が黒い。地面の割れ目から温泉の湯気が上がり、春の匂いがした。

「こんな土地では麦は育たん」と院長は言った。

たしかに麦畑を百枚作るなら難しい。だが今日、トーヤが作るのは一列だけだ。

彼は源泉から二歩離れた場所に縄を張った。

農政院へ提出した「地熱を使った冬作」の報告書は、前例がないという一言で焼かれた。それでも数年分の観察は頭に残っている。湯気の量、苔の色、雪の薄さ。権威の印がなくても、土は正直だ。トーヤは掌で地面を押し、温度の違う場所を一寸ずつ確かめた。近すぎれば根が煮え、遠すぎれば凍る。《地温計測》で土の色を見る。赤、橙、黄。種にちょうどよい淡い黄の線を見つけ、鍬を入れた。

凍土のはずが、刃先は柔らかな土へ沈んだ。掘り返すたび、湯気と一緒に湿った土の匂いが立つ。石を拾い、灰を薄く混ぜ、指一本分の深さに蕪の種を置いていく。小さな粒を落とすたび、指先へ地熱が移った。凍える季節に土を素手で触れられるだけで、この土地の答えはもう出ていた。

たった十二歩。

それでも最後の種に土をかぶせたとき、まっすぐな一列が雪原に残った。王都で引いたどんな収穫予測線より、美しく見えた。

トーヤは源泉脇の平石に腰を下ろし、靴を脱いで足を湯へ入れた。じん、と疲れが溶ける。小さな鉄板では、持ってきた薄焼きパンと山羊乳のチーズが焼けていた。縁が焦げ、ちりちりと音を立てる。

伝書魔法が空に青い文字を出した。

『凶作予測が外れた。農政院へ戻り、至急対策を立案せよ』

院長名義。謝罪の一語もない。

トーヤは返信板を裏返し、焼けたパンを二つに折った。溶けたチーズが糸を引く。

「百枚の失敗より、まず一列の成功だ」

温泉の湯気が、まいたばかりの畝をやさしく撫でている。

明日の朝、芽はまだ出ないだろう。それでいい。今日は土を耕し、種をまき、温かいものを食べた。その三つを、誰にも取り上げられなかった。