火星へ送らない設計図

火星移民船の打ち上げ三分前、小森谷剛志の管制卓に十二年前の自分へ送れる入力欄が開いた。

〈隔壁三を二重化しろ。〉

一周目の船は高度九十キロで破断した。爆炎が空を白くした直後、剛志は同じ三分前へ戻っていた。机には赤い発射鍵。モニターには乗員二百四十人の顔。成功条件は、船を地球周回軌道へ乗せることだった。

剛志は一文を十二年前の設計会議へ送った。次の周回では隔壁三が二重になり、破断は消えた。代わりに冷却管が裂けた。

〈主冷却管を外周から六十センチ離せ。〉

また三分前。赤い鍵。同じカウント。

七周目には燃料弁、十一周目には姿勢制御、十六周目には非常電源まで、一文ずつ過去へ渡した。若い剛志は理由を知らないまま設計を直し、現在の船はそのたび別物になった。

十九周目、移民船は青空を抜けた。軌道投入成功。管制室が立ち上がり、剛志も赤い鍵を握りしめた。

ところが祝賀画面の裏で、未来予測が更新された。火星基地の酸素、電力、通信はすべて船を所有する企業の特許で封じられる。二十年後、移民は帰還権を失い、剛志は「設計の父」として統治会社の会長になる。過去へ送った修正が多いほど、特許網は強固になっていた。

端末が最後の一文を求めた。

〈成功した設計を確定するため、最初の指示を送信してください〉

剛志は「隔壁三を二重化しろ」を見つめた。赤い発射鍵には、会社の紋章が刻まれている。

彼は一文を書き換えた。

〈移民船の特許を放棄し、炉心を含む全設計図を無償公開しろ。〉

送信。

三分前へ戻るはずの視界が、十二年分まとめて崩れた。

剛志が目を開けると、そこは地方工場の修理場だった。移民計画は資金を集められず中止。彼は主任設計者ではなく、公開設計を流した責任で宇宙業界を追放された四十歳になっていた。火星へ向かう船も、管制室もない。

作業台の引き出しには、紋章を削り落とした赤い鍵だけがあった。

夕方、剛志は壊れた農業ドローンを直した。空は低く、火星は見えなかった。それでも秒針は、一度も発射三分前へ戻らなかった。