灯台の動かない人影

午後九時、沖を通った貨物船の船長は、岬灯台の上階窓に笹舟伊織の人影を見た。三度の閃光ごとに、帽子をかぶった横顔が白く浮かんだという。ところが九時二十分、交代要員が灯台へ入ると、そこに伊織は暗い階段下で、冷たい石段に頭を割られ、静かに死んでいた。

容疑者は助手の津雲朔也、娘の綿貫澪、漁師の宇多川晴臣。九時、津雲は本土の放送局で生出演中、綿貫は市民会館の合唱舞台、宇多川は魚市場の競り台にいた。どの場所も灯台から船で二十分以上かかる。しかも海は荒れ、九時前後に岬へ近づいた小舟は港の監視員にもなかった。船長の証言が正しければ、全員に完全なアリバイがある。

伊織はその日、津雲の横領を告発すると言い、綿貫の結婚に反対し、宇多川の密漁記録を保管していた。三人とも夕方まで灯台にいたが、綿貫と宇多川は六時半の連絡船で帰り、津雲だけが七時十分の最終便に乗った。

現場に残った手掛かりは三つだった。第一に、船長が描いた三回分の人影は、帽子の角度も肩の傾きも寸分違わなかった。第二に、伊織が必ず玄関へ掛ける黄色い油布の外套が消えていた。第三に、上階窓の前には椅子の脚が作った四角い跡があり、周囲だけ埃が薄くなっていた。

灯台の光は回転するたび、同じ窓を数秒だけ照らす。遠い船からは、外套の皺も顔の有無も見えない。船長は「人が立っていると思った」とは言ったが、「動いた」とは一度も言わなかった。

「九時に窓辺にいたのは伊織さんではありません」私は津雲へ向き直った。「椅子の背へ黄色い外套を着せ、帽子を載せれば、回転灯が同じ輪郭を三度映す。だから影は一ミリも動かなかったのです。綿貫さんと宇多川さんが去った後も灯台に残り、七時十分までに伊織さんを殺し、その人形を窓へ置けたのはあなた一人。九時のアリバイは三人とも本物ですが、九時に被害者が生きていたという前提だけが偽物でした。あなたは光ではなく、見る者の思い込みを利用したのです」