灰まみれの白
城下で「煙の魔狼」が出たと騒ぎになったのは、パン窯へ火を入れる夜明け前だった。
路地の奥に、灰色の巨体がうずくまっている。赤い目だけが闇に光り、兵士たちは魔狼が火を食べに来たのだと剣を抜いた。
焼き手見習いのエルネは、小麦粉の袋を抱えたまま首を傾げた。火魔法が弱く、窯番には向かないと毎日言われている彼女は、そのぶん薪の匂いと煙の流れをよく知っていた。
「あれ、白い毛が煤で汚れてるだけじゃない?」
近づくと、巨体はさらに小さく縮んだ。白狼だった。背中は煙突の煤をかぶり、片側のひげが焦げて丸まっている。路地には崩れた煙突から続く大きな足跡があり、火を食べたのではなく、落ちてきた煉瓦から逃げ込んだだけだと分かった。腹から、きゅるる、と情けない音がした。
兵士が笑うより早く白狼が牙を見せ、全員が黙った。
エルネは店へ戻り、売れ残りの丸パンを温めた山羊乳へ浸した。蜂蜜も香辛料も入れない。浅い籠に並べ、少し離れた場所へ座る。
「硬いままだと食べにくいでしょう。ゆっくりでいいよ」
白狼は焦げたひげを震わせた。やがて一歩、また一歩と近づき、乳を吸ったパンを丸ごと飲み込む。二つ、三つ。籠が空になるころには、赤く見えた目もただ眠そうな琥珀色になっていた。
エルネは窯から離したぬるい湯で布を濡らし、煤を拭いた。背を一度撫でるたび、灰の下から雪のような毛が現れる。白狼は喉の奥で、ごろごろとも唸りともつかない音を鳴らした。
「怖かったの? 煙突に落ちたのかな」
尾が一度だけ動いた。
そこへ親方が駆けつけ、「その神獣を店の看板にすれば大儲けだ」と首輪を持ち出した。白狼は静かに立ち、親方の手から首輪だけをくわえて窯へ放り込んだ。
それからエルネの前へ戻り、前足を揃えて伏せる。彼女の手首に、焼きたてのパンのような金色の紋が灯った。冷えかけていた窯の火までふわりと蘇り、親方は首輪を失った手で口を開けたまま立ち尽くす。
白狼は膝へ鼻先を埋め、満腹の息を吐いた。煤の匂いが少し残る毛は窯辺の布団よりふかふかで、ずしりとした頭の重さが、今日からここが自分の店だと告げているようだった。