無音を七秒残す
細谷は、音声配信で短い文章を読む。
聴く人は多くない。毎週木曜の午前零時、机のライトを点け、マイクの赤い表示を確かめ、五分だけ読む。窓の外を車が通る音や、冷蔵庫が動き出す低音も、最近はそのままにしていた。
今夜の文章は、夜の台所についてだった。
蛇口から落ちる一滴。換気扇の回転。誰にも使われない二脚目の椅子。細谷は自分で書いた文字を、できるだけ感情を乗せずに読んだ。
外では雨が始まり、ベランダの手すりを細かく叩いている。エアコンは二十四度の風を送り、原稿用紙の角をわずかに持ち上げた。
三枚目の途中で、読む場所を見失った。
言葉が止まる。
一秒。二秒。
紙をめくる音だけがした。細谷の頭では、早く何か言わなければ、退屈させる、離れられる、という声が回った。けれど行はすぐに見つからなかった。
七秒目、画面の端に小さな灯りの反応が一つ現れた。
誰かが押しただけの、黄色い点だった。励ましなのか、誤操作なのかは分からない。コメントはない。同時接続は二人のままだった。
細谷は「失礼しました」と言わず、見つけた行から続きを読んだ。
最後の一文は、空の椅子を元の場所へ戻す場面だった。読み終えると、いつもならすぐに「ありがとうございました」と続ける。今夜は原稿を置き、あえて三秒黙った。
雨。換気扇。空調。遠くの救急車。
聴いている二人も、それぞれの部屋で何かを聞いているのだろう。互いに名前を知らなくても、無音の七秒を同じ長さで通り過ぎた。
配信を終える。保存されたアーカイブの波形には、途中だけ細く平らな場所があった。細谷は編集画面を開いたが、切らずに閉じた。
公開後の画面には、七秒の平らな線が傷のように見えた。けれど再生すれば、そこには雨も換気扇もある。何もない場所ではなく、言葉だけが休んだ場所だった。
部屋はまた一人用の静けさへ戻った。けれど穴のようには感じなかった。埋めなくても残しておける間があるなら、今夜の眠れなさも急いで直さなくてよいと思えた。