焦げ跡のページ
パン屋の作業日誌には、毎晩、翌日最初に焦がすものの名の横へ茶色い跡が付いた。
「一番窯の食パン」
「木べら」
「左袖」
店主は跡を見て、温度を下げ、道具を替え、袖をまくった。
火傷も失敗も減り、店は評判になった。
新しく入った見習いは、その日誌を知らない。
店主は予告を根拠に仕事を取り上げた。
「今日は窯へ近づくな」
「その布は触るな」
理由を聞かれても、
「まだ早い」
としか言わない。
見習いは失敗する機会さえ与えられず、次第に黙った。
ある夜、日誌の「見習いの右手」の横に大きな焦げ跡が現れた。
店主は翌朝、見習いを厨房へ入れなかった。
「今日は休め」
「またですか」
「危ないから」
「何が?」
店主は答えられない。
昼前、見習いは辞表を持ってきた。
紙の右上が、湯気で少し茶色くなっていた。
店主はその跡を見て気づいた。
日誌が予告したのは手の火傷ではなく、見習いの手から差し出される焦げた紙だったのかもしれない。
「辞めるのか」
「失敗する前から信用されないので」
店主は、日誌のことを話した。
見習いは笑わなかった。
「それで失敗を全部なくしたら、誰が覚えるんですか」
「怪我をさせたくない」
「怪我と失敗を同じにしないでください」
店主は昔、弟子の火傷を防げず、店を閉めかけたことがあった。
それ以来、事故の予告を見れば仕事ごと奪った。
守ることと任せないことの境目を、焦げ跡へ決めさせていた。
二人は辞表を窯のそばへ置いた。
見習いは右手で天板を持つ。
店主は隣に立ち、温度だけ伝えた。
最初のパンは底を少し焦がした。
見習いは悔しがり、店主は手を出しかけて止めた。
二回目は膨らみが足りない。
三回目に、ようやく店へ出せる物が焼けた。
夜、日誌を開く。
翌日の頁には焦げ跡がなかった。
見習いは辞表を撤回しなかった。
一週間考えると言った。
店主も、残れとは迫らなかった。
翌朝、見習いは普通に出勤した。
「今日は何が焦げますか」
「分からない」
店主が答える。
「じゃあ、見ておきます」
予知がなくても、火から目を離さず、失敗した人の手を奪わずに隣へ立つことはできた。