父の筆跡で予約
冬城征哉は二十九歳。亡父の遺品にあった写真を手掛かりに、山奥の生見村を訪ねた。写真の裏には「石守旅館、息子と二人」とだけある。撮影日は、征哉が生まれる三年前だった。
石守旅館は営業を終えていたが、元女将が宿帳を見せてくれた。昭和六十二年の頁に、父の名がある。同行者欄には「征哉、六歳」。文字は父が年賀状に使っていた癖そのものだった。
女将はカセットレコーダーを回した。
「村の聞き書きとして残します。注意は一つです」
《宿帳に知っている筆跡を見つけても、その人の名を声に出してはいけない》
征哉は黙って頁を撮った。だが同行者欄の自分の年齢を見て、動揺した。父が何を知っていたのか確かめたくなり、録音中なのも忘れて一度だけ父のフルネームを呼んだ。
廊下の奥で、古い電話が鳴った。
元女将は受話器を取らず、宿帳を閉じた。「予約が入りましたね」と言った。
その夜、征哉は近隣のビジネスホテルへ移った。午前二時、予約サイトからメールが届く。
予約者:冬城征哉の父
宿泊先:石守旅館
宿泊日:本日
人数:大人一名・小人一名
キャンセル画面には「予約者本人の音声確認が必要」とある。父の携帯番号は十年前に解約済みだった。
宿泊確認の添付画像には、石守旅館の玄関で手をつなぐ父子が写っていた。父は若いまま、子どもの顔だけ現在の征哉になっている。ホテルのフロントへ画像を見せると、「お連れ様なら先ほど外出されました」と、もう一本のカードキーを渡された。利用履歴には深夜、征哉の部屋が内側から二度開いた記録がある。カセットの録音時間も、父の名を呼んだ瞬間から減らずに増え続けていた。
予約人数は更新のたび、父一人と征哉一人の間で入れ替わった。どちらかが大人になると、もう片方が小人へ戻る。
やがて征哉のスマートフォンに、その番号から留守番電話が入った。再生すると、旅館の電話ベルと、六歳くらいの子どもの息遣いが聞こえる。
最後に父の声がした。
「征哉、先に着いた。おまえの年齢だけ、今度こそ間違えるな」
予約アプリの同行者欄が《二十九歳》へ更新された。