片腕弓兵と浮葉の湯
森宿《葉舟亭》の女将エルシェは、客の弓を見てから腕を見た。
弓兵フェリクの左肩は革帯で胴へ縛られている。魔獣の爪傷は治っていたが、筋肉だけが恐怖を覚え、腕を上げようとすると石のように固まるのだという。
「明日の選抜で一射もできなければ、辺境隊を外される。家族へ送る給金も終わりだ」
「治癒術は?」
「骨は無事だと言われた。無事な腕が動かないから困っている」
エルシェが用意したのは、森の葉を一枚だけ浮かべた露天の《浮葉湯》だった。
「葉を落とさないよう、左手をその下へ入れてください」
「腕は上がらない」
「湯の中なら、腕の重さを湯が半分持ちます」
フェリクは不承不承、肩まで沈んだ。傷を負った日の爪音を思い出したのか、左手だけが震える。
「動かなければ、また役立たずと言われる」
「今ここに魔獣はいません。選抜官もいません。葉っぱ一枚だけです」
その言葉に、彼はようやく湯を見る。葉の下へ手を滑らせた。水の浮力に支えられ、固い肩が指一本ぶん動いた。
「そこで止めて」
エルシェは急かさなかった。風が葉をずらすたび、彼は追う。わずか一寸、さらに一寸。湯気と樹脂の香りの中で、肩は「上げても爪が来ない」と少しずつ覚え直していった。
途中で腕が止まるたび、エルシェは葉を少し手前へ戻した。できなかった距離ではなく、動いた距離からやり直す。誰にも怒鳴られない反復の中で、震えは次第に小さくなった。
葉が浴槽の中央へ流れたとき、フェリクの左腕は水面近くまで伸びていた。
「痛みは」
「ある。だが、怖さより小さい」
湯上がりに彼は弓を持った。女将が止める間もなく弦を引く。矢は放たなかった。ただ頬まで引き絞り、ゆっくり戻す。
縛っていた革帯が床へ落ちた。
翌日の昼、フェリクは選抜隊の緑章を胸につけて戻った。一射目で中央を射抜いたらしい。料金の銀貨を置き、もう一枚重ねる。
「次は右腕も入る。左右同じにしておきたい」
「一人用ですから、両腕は同時で大丈夫です」
笑った彼が森道へ消える。
エルシェが新しい葉を湯へ浮かべると、玄関の木鈴が軽やかに鳴った。