獣牢で最初に跪いたもの

「能力なしの餌なら、黒牙王も腹を壊すまい」

獣使いが笑い、榊原直哉を闘技場中央の檻へ突き飛ばした。

直哉は森で目覚め、飢えた子狼へ干し肉を分けただけだった。その子狼が王家の狩猟獣だったため、盗難罪と反逆罪をまとめて着せられた。判決は、魔獣の王に食われること。

鉄門の向こうから、山ほどの黒い獣が現れる。

黒牙王。討伐等級は天災級。過去三十年で騎士団を六つ壊滅させたという。

観客席では貴族たちが賭け札を振っていた。何秒で腕が千切れるか、どちらの脚から食われるか。直哉の死は細かな項目に分けられ、銀貨へ換算されている。獣使いは檻の外から鞭を鳴らしたが、黒牙王の目には怒りより疲労があった。

直哉は逃げなかった。黒牙王の額に、あの日の子狼と同じ白い傷が見えたからだ。その傷を見た瞬間、盗んだのではなく、返しに来たのだと確信した。

彼の内側で能力が開く。

《群れの頂》

一度だけ、自分と周囲の生物すべてに、本能が認める序列を示す。

支配ではない。命令もできない。

ただ、誰が上に立つ器かを隠せなくする。

黒牙王が跳んだ。

直哉はその金色の目を見返し、能力を使った。

音のない圧力が闘技場を通り抜ける。

黒牙王は空中で身を捻り、直哉の前へ伏せた。巨大な顎を地面につけ、腹を見せる。続いて獣舎の魔狼、城壁の飛竜、貴族の肩に止まる使い魔まで、すべてが同じ方角へ頭を下げた。

王家の紋章を背負う白竜だけは耐えようと翼を広げた。

だが一歩も進めず、ついに長い首を石床へ置いた。

観客席の鑑定官が震える手で序列計を掲げる。

針は黒牙王、白竜、国王を越え、盤面の外へ回り続けた。金属軸が焼き切れ、計器が爆ぜる。

直哉は伏せた黒牙王の鼻先へ手を置いた。

獣は喉を鳴らした。観客が期待した咀嚼音ではなく、子狼が安心したときと同じ音だった。

獣使いは鞭を落として後ずさる。

国王は賭け札を握り潰し、ゆっくりと席を立った。

最初に跪いたのは黒牙王だった。

だが最後には、闘技場の人間だけが立っていられなくなっていた。