獣王から消えた王冠

「匂いを消すだけの《消臭》だと? 狩人にも料理人にも半端な無能だ」

魔獣騎兵団の選抜場で、団長ベルモアはリュカンを列から追い出した。

《スキル:消臭――触れた対象の匂いを一時間だけ消す》

姿も足音も消せない。風上へ回れば敵に見つかる。そう言われ、リュカンは魔獣舎の糞を運ぶ役になった。

リュカンはそこで、獣が目より先に鼻で挨拶することを知った。弱い個体は強い個体の匂いを避け、子は母の匂いへ集まり、群れは姿の見えない王の香りだけで進路を変える。糞車を押しながら、彼は人間の冠より確かな階級が空気に浮いているのを嗅いでいた。匂いを失うことは、獣の世界では名も肩書も失うことだった。

選抜試合の最中、鎖につながれていた赤鬣獣が暴れた。

一頭が柵を破ると、三十頭が同時に牙を剥く。赤鬣獣は群れで狩り、最も強い雄の匂いに従う。飼育係が振る鎮静香も、興奮した獣には届かない。

ベルモアは自ら黒槍を構えた。彼の鎧には長年染みついた獣脂と、群れを服従させる雄の香が塗られている。だから獣たちは団長を避け、観客席へ向かった。

「正門を閉じろ! 子どもを先に逃がせ!」

リュカンは糞車を捨て、ベルモアの背中へ飛びついた。

槍の石突きが喉元へ向く。

「何をする、雑役!」

「王冠を外します」

掌が鎧に触れ、《消臭》が発動した。

獣脂も汗も、支配の香も、一瞬で消える。

群れが止まった。

三十の鼻が同時に持ち上がり、空気を探る。命令を出す雄の匂いがない。赤鬣獣たちは互いの顔を見て低く唸り、誰に従うべきか決められず、その場で円を描き始めた。

ただ一頭、最初に柵を破った老いた雌だけが、子獣の匂いを追って獣舎へ戻る。ほかの獣もそれに続いた。

兵たちが門を閉じ、暴走は血を流さず終わった。

ベルモアは匂いの消えた自分の籠手を見つめた。それから選抜名簿を破り、白紙の表紙へリュカンの名だけを書いた。

「お前が消したのは臭気ではない。群れに見えていた俺の階級だ。魔獣騎兵団の副団長席は、今日からお前のものとする」