白線を越えて走る

昇進面談の朝、私は一本早い電車を降り、遠回りして高校時代の通学路へ入った。川沿いの道には、かつて自転車と歩行者を分けていた白線が薄く残っている。靴先で線を踏むと、玲奈の手の熱がよみがえった。

高校最後の駅伝で、玲奈はアンカーを走るはずだった。けれど本番一週間前、この道で足首を捻った。補欠だった私が代わりに選ばれ、チームは県大会へ進んだ。表彰式で笑う私の横に、松葉杖の玲奈がいた。

周囲は「チャンスをものにした」と褒めた。私はその言葉を受け取るたび、玲奈から何かを奪った気がした。卒業前の朝練で、もう走れない彼女とこの道を歩いたとき、私はようやく謝った。

「私が走って、ごめん」

玲奈は白線の向こうへ片足を出し、私の手首を掴んで引いた。

「奪ったんじゃない。渡したの。受け取ったなら、最後まで持って走ってよ」

私は線の外へよろけ、二人で笑った。けれど大学では競技をやめた。勝つたびに誰かの席を奪う気がして、仕事でも目立たない役ばかり選んだ。

今日の面談では、退職する先輩のチームを引き継ぐよう打診される。推薦された瞬間から、私は「もっと適任がいる」と断る理由を探していた。

川面に朝日が揺れる。白線は途中で途切れ、舗装された新しい道へ溶けていた。私はスマートフォンを開き、面談資料の最後に書いた一文を消す。

〈経験不足のため辞退を希望します〉

代わりに、引き継ぎ後の改善案を三つ書いた。玲奈から渡されたものは、速さではない。誰かの不在を自分の罪にせず、その場所で責任を果たすことだったのかもしれない。

向こうから朝のランナーが来て、途切れた白線を気にせず通り過ぎた。道が消えたのではなく、誰かが走り続けた分だけ境目が薄くなったのだと思う。私も自分の番を、遠慮ではなく準備で迎えればいい。

駅へ急ぐため、私は歩幅を広げる。薄い白線を一度またぎ、そのまま小走りになった。制服の頃の私へ戻るためではない。あの日受け取ったバトンを、今の手で持ち直すために。