百円から始まる家計簿
八月十三日
夏祭り・金魚すくい 一回百円。
孫が一匹だけ持ち帰る。
名前は「朱丸」。
予定外支出。
八月十四日
水槽 一九八〇円。
砂利、水草、餌 計一二六〇円。
百円の金魚に高すぎる、と娘に言われる。
命の値段と、暮らす費用は別。
これは、祖母・斑目灯子の家計簿に残された記録である。
灯子は一円単位で帳尻を合わせる人だった。電気はこまめに消し、特売日を三店ぶん暗記し、孫の凌久が菓子をねだると「欲しいと必要は違う」と諭した。
ただし、朱丸の費用だけは削らなかった。
三年目
冬用ヒーター 二四八〇円。
「金魚に暖房」と娘が笑う。
笑う人間も、寒ければ暖房をつける。
六年目
引っ越し用ふた付き容器 六八〇円。
新居へ運ぶ間、孫が膝に抱える。
電車賃は孫もち。
九年目
薬浴用ケース 一一〇〇円。
三日間、灯子は水槽の横で眠った。
朱丸、回復。
十二年目
孫の大学合格。
祝いの鯛は高いので、朱丸を見ながら赤飯。
支出 七八〇円。
満足度 鯛以上。
凌久が家を出てから、家計簿には朱丸の記録が増えた。尾びれの色、食べた量、窓辺に差した光。電話で灯子は自分の体調を話さなくても、朱丸のことなら一時間話した。
十六年目
私、入院。
朱丸の世話代、孫へ月三千円。
孫は受け取らず。
未払いとして記録。
灯子は退院できなかった。
遺品を片づけた凌久は、家計簿の最後のページに封筒が貼られているのを見つけた。中には三万円と手紙があった。
〈十か月ぶん。あなたが朱丸へ使わなくてもよい。世話は、払われるからするものではないと知っています。でも、受け取った親切を数字にしないと、おばあちゃんは忘れそうなので〉
朱丸は凌久の部屋へ移り、十九年目の春まで生きた。
最後の日、凌久は家計簿を開いた。
十九年目
通院費 四五〇〇円。
新しい餌 六八〇円。
最後まで使わなかった薬 九八〇円。
そこまで書き、合計欄で手が止まった。
百円で始まった一匹に、いくら使ったのか。水槽も、電気も、電車も、帰省の時間も足せば、正確には出せない。
凌久は、祖母の字の下へ初めて記入した。
朱丸と暮らした十九年。
祖母が一人でなかった十九年。
僕に帰る理由があった十九年。
支出 計算不能。
受取額 それ以上。
家計簿は、そこでようやく黒字になった。