皿に残った五つのひだ
田所紫乃の前に、手作り餃子が六個並んでいた。
大学時代からの友人が、謝るために作ったものだった。皮は厚く、ひだが不揃いで、箸を入れても簡単には切れない。噛むと縁が固く抵抗し、遅れてにらの匂いが広がった。話しているうちに、白い皿はすっかり冷えていた。
友人は先月、ウェブ媒体へ体験記を発表した。若い女性のパニック障害を扱った文章で、主人公の名前も職業も変えてあった。
けれど、発作を起こした駅、紫乃が母へついた嘘、救急車を断った夜、薬を隠した引き出し、退職した本当の理由。その五つは、友人にしか話していないことだった。共通の知人から「これ、紫乃のこと?」と連絡が来た。母は記事を印刷し、似た人もいるのねと言った。紫乃は笑って否定し、その夜から薬の引き出しを開けられなくなった。
悪気はなかった。誰かの助けになると思った。名前は出していない。友人の説明は短かったが、謝罪のあとにも文章を削除するとは言わなかった。反響が大きく、次の連載も決まったらしい。編集者から、当事者の友人だから書けた文章だと褒められた、と泣きながら話した。
紫乃は、泣いている相手を責めるのが苦手だった。大学時代、発作のたびに迎えに来てくれたのもこの友人だ。その恩があるから、自分の話を使う権利まで渡したのかもしれないと、今日まで考えていた。
紫乃は一個目の餃子を端から噛んだ。固いひだを時間をかけて砕き、中の肉まで全部食べた。
二個目には箸をつけなかった。皿を少し回し、残った五個のひだが友人のほうを向くように並べ直した。駅。母への嘘。救急車。薬。退職。皿の上に、話した順番で置いた。
「食べないの」
紫乃は首を振った。
食べきれば許したことになりそうだからではない。友人の作ったものを残す自分を、冷たい人間だと思わないためだった。
一個だけを食べたのは、二人で過ごした十年まで否定しないため。五個を残したのは、その十年を理由に、五つの秘密を差し出さないためだった。
紫乃は立ち上がり、会計分の紙幣を皿の下へ挟んだ。友人は餃子ではなく、五つのひだを見ていた。
「消して」
それだけ言うと、友人は初めてうなずいた。連載がなくなるかもしれない、という言葉は続かなかった。
店を出るとき、紫乃の口には固い皮の感触がまだ残っていた。全部食べなかった皿を思い出しても、罪悪感は来なかった。息は来たときより深く吸えた。