相性九百九十八
槙野紗絵は、国家婚姻AIから相性九百九十八の相手を紹介された。
彼は同じ時間に目覚め、同じ硬さのパンを好み、老後の希望居住区まで一致していた。初回の食事では会話の間隔が最適化され、二人が笑うたびに卓上端末が小さく光った。
《良好な反応です》
三度目の面会で婚約が推奨された。承認すれば双方の信用点が五十上がり、広い住宅と育児枠が与えられる。
紗絵には、不満が一つだけあった。彼といると、何も失敗しないのだ。
雨は店に入ってから降り、注文は必ず同時に決まり、沈黙は推奨秒数で終わる。彼が微笑む角度まで、事前予測と同じだった。
婚約手続きの日、入力欄の前で彼が小声で言った。
「本当は、硬いパンが嫌いです」
紗絵は笑いそうになったが、端末が《嗜好情報の不一致》と赤く点滅した。
「僕は柔らかい菓子パンが好きです。君との相性を下げたくなくて、ずっと我慢してた」
紗絵も告白した。早起きが嫌いなこと。子どもを持つか決めていないこと。老後は海ではなく、雪の町に住みたいこと。
二人が本音を入力するたび、相性値は落ちた。九百、七百、四百二十。婚約加点は消え、端末は別の候補者を勧め始めた。
「どうする?」と彼が聞いた。
紗絵は、初めて予測されていない質問をされた気がした。
二人は婚姻AIの推薦を拒否した。不適合関係の継続として信用点も下がり、予約していた新居は取り消された。代わりに、駅から遠い小さな部屋を借りた。
共同生活は、九百九十八点の頃より面倒だった。彼は靴下を裏返しで脱ぎ、紗絵は怒るとドアを強く閉めた。休日の予定は決まらず、カレーの辛さでも揉めた。
最初の大喧嘩のあと、彼が柔らかいパンを二つ買って帰った。紗絵は片方を受け取り、代わりに固いバゲットを差し出した。
「半分ずつにする?」
端末は二人の相性を三百八十一と表示した。
紗絵はその数字を見て、ようやくこの人と暮らしているのは、制度に選ばれたからではなく、毎日選び直しているからだと思えた。