相続したのは明日の天気
月面都市では、雨は財産である。
ドーム内の降雨時間を購入し、農園や庭へ割り当てる。母が遺したのは、年間四十時間の〈雨権〉だった。
兄は売却を望んだ。
「地球留学の費用になる」
妹は反対した。
「母さんの温室が枯れる」
「温室のために進学を諦めろって?」
「誰もそんなこと言ってない」
二人は母の契約を開いた。
雨の配布先は、実家の温室だけではなかった。
隣の老夫婦の苔庭。
上階の保育室の菜園。
通路脇の共同花壇。
八世帯へ、少しずつ分けられていた。
「勝手に他人へ配ってたのか」
兄は苛立った。
「相続人が困ると思わなかったのかな」
妹も、母を美化する気にはなれなかった。母は人へ分けることが好きで、その後始末を家族へ残す人でもあった。
雨権を全部維持する費用は高い。
全部売れば、近所の庭は次の季節を越せない。
二人は利用者を集めた。
「母の善意を、子どもが無料で継ぐのは違う」
兄が率直に言った。
「続けたいなら、一緒に負担してほしい」
老夫婦は管理作業を、保育室は月ごとの利用料を、ほかの住民は設備点検を引き受けた。
四十時間のうち十二時間は売却し、兄の留学費へ充てる。
二十四時間は共同組合へ移す。
残る四時間は、兄妹が自由に使える家族分として残した。
「四時間で何する?」
「母さんの命日に雨を降らせる、とか言わないでよ」
「同感。湿っぽすぎる」
二人は笑った。
最初の共同降雨の日、子どもたちが花壇へ飛び出し、老夫婦は苔を見守り、妹は温室の窓を開けた。
地球へ出発する兄は、荷物を持ったまま雨の下へ立った。
「売った十二時間、恨んでる?」
妹が尋ねた。雨の音だけが、答えを急がせなかった。
「残した二十八時間を、自分だけの犠牲にしなかったことに安心してる」
母の選択を、そのまま守ったわけではない。
相続人の暮らしも、雨を待つ人の事情も、同じ契約へ書き直した。
明日の天気は、親が死ぬ前に決めておけるものではない。
だから兄妹は、受け継いだ雨を分け直し、自分たちの世代の空を作った。